1890年、出版社の特派員として日本の紀行文を書くために来日したハーンは松江で英語教師をしながら執筆活動をしていたが異常気象で気管支炎を患った。そこでセツが住み込みでお世話をすることに。2人を結ぶきっかけを作ったのが英語が堪能で八雲の良き相談相手だった西田千太郎だった。籍は入れていないが夫婦同然の生活を始めた2人だが、西洋人と暮らすセツには人々の好奇の目が向けられ、外国人相手の遊女を指すラシャメンと呼ばれることも。セツは気丈に振る舞い夫を支え続けた。セツが大好きだったのが養母が話してくれた怪談話。セツは知っていた物語だけではなく古い伝承を収集し周りの人へ取材し、ハーンはアレンジを加え文学にした。ハーンは見ながらしゃべるのを禁止し、生の語りにこだわった。文字通り共同作業で「KWAIDAN」を生み出した。一緒に暮らすようになって3年目には長男が誕生。ハーンは自分が間違いなく先に死ぬから、ちゃんと財産をセツがもらえるように日本への帰化を決断した。セツの戸籍に婿入する形で正式に結婚も果たした。その後、東京に住まいを移し帝国大学の英文学講師を務めたり、執筆活動も続け8年間で9冊を執筆した。「KWAIDAN」の出版から5か月後の1904年9月26日、心臓発作で54歳で亡くなった。その後、幼い4人の子を女手一つで育て上げた。
住所: 新潟県南魚沼市浦佐5493-3
URL: http://www.ikedaart.jp
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