デヴィ夫人は20代の時、インドネシアのスカルノ元大統領に見初められ結婚。その後、スカルノ大統領は1965年の軍事クーデターで失脚・軟禁状態に置かれたが、夫人は難を逃れ1967年にフランスへ亡命した。インドネシアへまた戻り、ニューヨークへ移住し、2000年に日本へ戻ってきた。そんな激動の人生の中で一番印象に残っている出来事は何かと成田が質問。デヴィ夫人はパリへ亡命中、「スカルノ元大統領が昏睡状態に陥った」との知らせを受け、インドネシアへ帰ることを決意した際のことを挙げた。フランスの友人たちから「絶対に殺される」と止められたが強行。ジャカルタへ向かう便へ乗り込んだが、その飛行機が2時間遅れ敵対するスハルト派に知られてしまった。日本政府からもシンガポール武官からも身の安全は保障できないと言われている中、単身でジャカルタへ向かったデヴィ夫人は「その時私は思いましたね。私が殺されるのならば20秒でも1分でもいいから我が娘を自分の手で殺す時間を与えてくださいと祈った。その時、娘は3歳3か月でしたけど我が子が敵の手に渡るということが考えられなかった」と語った。