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「海鮮家 福伸」 のテレビ露出情報

熊本空港が誕生したのは今から63年前の1960年。場所は現在の熊本市東区。現在の場所に移転したのが1971年の唱和46年4月。滑走路の長さは2500mあり、全国に先駆けたローカル大空港として1979年にジャンボ機も就航した。その後1983年には国際線旅客ターミナルビルが完成し、アメリカへのホノルルのチャーター便は多くの旅行客で賑わった。2012年にはリニューアルオープン工事行い熊本の空の玄関口としての役割をはたしてきた。本格化するターミナルビルの撤去工事が行われ大型の重機6台で行われ一日に撤去される瓦礫は350トンにも及ぶ。2020年の撤去工事で行われて射たのは屋上にあった阿蘇くまもと空港の看板の撤去工事が行われた。文字一つの重さは400キロ。一つの文字を20分かけて慎重に撤去していく。年が明けていよいよ新しい旅行客ターミナルビルの建設が始まった。新しいターミナルビルは研鑽剤を使用するなどふるさと熊本の自然の魅力に溢れている。また熊本地震の教訓から地震に強い特別な制震ダンパを採用し、万が一熊本地震同規模の揺れがきても耐えられる強さ。
一方で目標にしている地域に開かれた空港に向けた取り組みも行われ、空港に親しみをもってもらおうと企画された夜の滑走路を巡るツアーでは新型コロナの影響で延期になっていたがその日は空港周辺にある自治体から親子74人が参加した。滑走路に設置されている1800個のライトがつくと普段は入ることのできない夜の滑走路の絶景が楽しめる。21年の12月末に空狐うの建設現場には最後の梁を設置する上棟式が行われた。最後に吊り上げられる梁には建設現場に携わっている関係者の名前がずらり。最後に名入れをするのは熊本国際空港の新原社長。この頃になると国内の新型コロナの感染者数も落ち着いて空港には修学旅行の団体客の姿も戻ってきた。
2022年の1月3日には新型コロナが落ち着く中で仮ターミナルとして初めての本格的なUターンラッシュを迎えた。混雑が予想されたために空港ではターミナルへの入場を制限。ターミナルの外では年末年始を熊本で過ごした家族連れなど多くの帰省客が家族や友人たちとの別れをおしんでいた。新しい熊本空港の旅行客ターミナルビルの目玉に保安検査をうけたあとの滞在型ゲートラウンジ。開業まで5ヶ月にせまった2022年の10月には出店の決まったある店舗では出店に向けた新メニューの開発が進んでいた。鮨 福神は上天草市やアミュプラザに店舗をもつ人気の海鮮レストラン。試食には取引先のスタッフも参加している。熊本空港ではこれまでの業態とは違いフードコートへの出店で、出発前の旅行客に何を振る舞うか試行錯誤が続いていた。さらに7席のカウンターも設置。また器にもこだわりがあり高浜焼使用している。新しい旅客ターミナルビルの仕上げとなる工事が22年の11月からスタート。日中にできない大型の工事は、全ての営業終了後の夜間に行われる。この日行われたのは乗客が飛行機に乗り込む時に使用するボーディングブリッジの設置。滑走路に入るために入念なチェックをうけて入る。ボーディングブリッジの大きさは35トンあり、2機の大型クレーンでつり上げる。さらに一週間後に行われたのが看板かけだった。
住所: 熊本県天草市東町45
URL: http://fukushin.com/rikyu

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