熊本市民病院で井上は決断を迫られた。赤ちゃんを保育機から出し避難させるしかない。ほとんどはまだ自分で体温調節ができず、体温が下がれば命に関わる。まだ自力で呼吸できない赤ちゃんは7人。手動で酸素を送る人工呼吸が頼りとなった。避難先は1階のリハビリ室。人工呼吸をひたすら続けた。鹿児島市立病院では、熊本に応援を出せないか全スタッフで集まり状況を整理した。救援を送れるよう体制を組み始めた。朝7時30分、熊本市民病院から近隣の病院への搬送が始まっていた。体重951gの田中ゆきちゃんは、自分では呼吸ができず体力もない。すでに人工呼吸は6時間に及んでいる。
混乱のなかで正確な情報を鹿児島に伝えたのが、被災現場にいち早く駆けつけていた鹿児島市立病院の吉原。責任者として鹿児島ドクターヘリを熊本に向けることを許可した。朝9時過ぎ、鹿児島からドクターヘリが来ると連絡が入り、井上たちは直ちに移動を開始した。病院から西に1キロの江津湖湖畔にはヘリが降りられる広場がある。降り立ったメンバーは、救急と新生児内科の強力タッグ。ゆきちゃんは新生児搬送システムに守られた。その時再び地震が起き、直ちに離陸。10時34分に鹿児島市立病院に到着した。この日、九州中の病院が続々と赤ちゃんの受け入れを支援し、被災地の病院でも受け入れ38人全員が搬送された。平川たちは2度赤ちゃんの搬送を担当し、夕方までの飛行距離は1000キロ以上に及んだ。
混乱のなかで正確な情報を鹿児島に伝えたのが、被災現場にいち早く駆けつけていた鹿児島市立病院の吉原。責任者として鹿児島ドクターヘリを熊本に向けることを許可した。朝9時過ぎ、鹿児島からドクターヘリが来ると連絡が入り、井上たちは直ちに移動を開始した。病院から西に1キロの江津湖湖畔にはヘリが降りられる広場がある。降り立ったメンバーは、救急と新生児内科の強力タッグ。ゆきちゃんは新生児搬送システムに守られた。その時再び地震が起き、直ちに離陸。10時34分に鹿児島市立病院に到着した。この日、九州中の病院が続々と赤ちゃんの受け入れを支援し、被災地の病院でも受け入れ38人全員が搬送された。平川たちは2度赤ちゃんの搬送を担当し、夕方までの飛行距離は1000キロ以上に及んだ。