ハチが病に冒され命はそう長くないとわかった。病名は犬の多くが当時発症していた犬フィラリア症。生きているうちに銅像を建ててあげたいと皆が願った。銅像建立のため募金による資金集めが行われた。資金集めでチャリティイベントも開かれた。1日でイマの約800万円が集まった。チャリティイベントから1か月後、渋谷駅にハチ公像が完成した。除幕式の映像に生きているハチ公の映像が捉えられた。ハチは病から奇跡的に回復した。この映像は当時、アメリカでニュースとして流れた。ハチは本物のハチ役で映画に出演もしていた。
太平洋戦争が勃発し、全国各地から寺の鐘や鉄製の看板、ポスト、家庭の鍋まで徴収され軍需産業などに使用された。銅で作られたハチ公像も回収された。終戦から3年が経った頃、彫刻家の父・照を戦災で失った安藤士は2代目ハチ公像の制作を開始。除幕式は半年後の終戦記念日に決めた。終戦してもなお、原料の銅が見つからない。亡き父の代表作を溶かしハチ公像を作ると決意した。
太平洋戦争が勃発し、全国各地から寺の鐘や鉄製の看板、ポスト、家庭の鍋まで徴収され軍需産業などに使用された。銅で作られたハチ公像も回収された。終戦から3年が経った頃、彫刻家の父・照を戦災で失った安藤士は2代目ハチ公像の制作を開始。除幕式は半年後の終戦記念日に決めた。終戦してもなお、原料の銅が見つからない。亡き父の代表作を溶かしハチ公像を作ると決意した。