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「王監督」 のテレビ露出情報

WBC激闘の裏である事件が起きていた。2006年に開催された第1回 WBC。日本代表と国民が激怒した大事件が。絶体絶命の状況に追い込まれた日本。そこから世界一に這い上がったメンバーと大会を見直したら新事実が続出。20年ぶりに大会を見直すメンバーは渡辺俊介、和田毅、西岡剛。勝ち進めば準決勝進出の第2ラウンド。初戦の相手は優勝候補のアメリカだった。試合前にアメリカの選手が王監督にサインをもらいにきていたという。試合はイチローの一打で始まった。試合前にイチローが選手だけ集めてミーティングを行ったといい、3人は俺達が憧れの目になっているのを感じていた、俺達の野球の方が上だと言って有言実行の先頭打者ホームランだったなどと話した。その後2点を追加した日本に対し、アメリカも意地を見せ3対3の同点。
8回表、1アウト満塁のチャンスが。岩村が打ち上げたフライで西岡がスタートを切り、1点リード。しかし、ここで球史に残る事件が発生。アメリカ側の抗議により西岡のスタートが早かったとして判定が覆りアウトになってしまった。里崎は判定が覆るというびっくりとアメリカはそこまでして勝ちたいかというなどと驚きをコメント。これは後に「世紀の大誤診」と呼ばれ、日本のみならずアメリカのメディアでさえもこの判定を非難。波紋が広がった。西岡自身は早いという感覚はなかった、王監督のあそこまでの剣幕見たことがなかったなどのコメントが3人から上がっていた。ボブ・デービッドソンはのちに自身の誤診を認めていたという。しかし、日本はこの場面で勝ち越すことができなかった。そしてアメリカに敗北。イチローは試合後ただただ残念などとコメント。誤診について王監督は、審判のジャッジを抗議で変えるというのは見たことがないなどとコメント。そして3戦目は韓国。日本はこの試合に負けると準決勝進出が消滅する。その韓国に敗北。しかし、奇跡が。メキシコがアメリカに勝利し、日本は準決勝進出が決まった。相手は2連敗中の宿敵・韓国。
日本の先発は上原で無失点の好投。7回表、松中がヘッドスライディングでチャンスを作る。すると王監督が代打に福留を起用。福留は今大会絶不調で打率はわずか1割程度だった。福留はフォーム改造中で元々今大会の参加も断っていたが、王監督がそれでもと参加を打診したという。この采配が試合を動かした。

他にもこんな番組で紹介されています…

2026年9月13日放送 16:00 - 16:55 日本テレビ
不器用な僕らの「ありがとう」不器用な僕らの「ありがとう」
バッテリィズの寺家とエースは、中学硬式野球日本一決定戦のジャイアンツカップの予選に出場したことがある。今年のジャイアンツカップは1641チームが参加し、史上最多となった。ジャイアンツカップの決勝は、東京ドームで行われる。ジャイアンツカップの開会式で、王貞治さんが激励した。

2026年9月10日放送 23:00 - 23:59 日本テレビ
news zero(スポーツニュース)
元プロ野球選手の張本勲さんがきのう86歳で死去した。日本ハムの前身・東映フライヤーズに入団してプロ入り。首位打者7回、チーム初の日本一に貢献した。1976年に35歳で巨人に移籍すると、低迷していたチームを2回のリーグ優勝に導いた。プロ通算23年でNPB歴代1位の3085安打、歴代7位の504本塁打を記録した。引退後は球界のご意見番として「喝」「あっぱれ」など[…続きを読む]

2026年9月10日放送 13:55 - 15:49 TBS
ゴゴスマ(ニュース)
張本勲さんが86歳で亡くなり、王貞治さんは「突然のことでちょっとびっくりしてるんですけどね、日本の安打数記録3000本以上は1人だからね、やっぱり意地というかそういう負けん気というのは常に強く感じたね。同じ年でプロに入って、お互いセとパで頑張って野球界にある程度の仕事はできたとお互い自負している。最後のお別れをしていないのは残念だけど、静かに休んでほしい。僕[…続きを読む]

2026年9月5日放送 18:00 - 18:30 フジテレビ
MUSIC FAIR(MUSIC FAIR)
9月5日は国民栄誉賞の日。1977年に王貞治選手が通算756号本塁打を樹立し国民栄誉賞第一号を受賞したことから制定された。今回は自分に贈りたい!◯◯賞をテーマにトーク。郷ひろみは誰よりも「GO!」と言っているで賞、緑黄色社会・長屋は人の体調不良にすぐ気づくで賞、緑黄色社会・peppeは上白石萌音に似ているで賞、INI・木村&後藤は大谷翔平に似ているで賞、緑黄[…続きを読む]

2026年8月23日放送 13:55 - 15:20 テレビ朝日
浜田雅功とアスリート幸福論(浜田雅功とアスリート幸福論)
上原の経歴をその時々の幸福度グラフと共に紹介。生まれは1975年、大阪・寝屋川。何があるわけでもない普通の街。86年、6歳で野球チームに入る。幸福度40。父がコーチをやっていたこと、兄もやっていたことがきっかけ。父の著書によると、裕福ではなかったので洋服を兄弟で着回していた。88年、中学に野球部がなかったので陸上部に入部。種目はハードル、三段跳など。最高成績[…続きを読む]

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