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「琉球」 のテレビ露出情報

ファミリーヒストリー沖縄編。依頼した崎浜さんは、曽祖父から先祖は豊臣秀吉に会ったと言われていたため気になっているという。国頭郡本部町にある崎浜さんのご自宅を伺うと、崎浜家譜ににはは14代前に我那覇ぺーちんという呼び名が記されており、大阪にあがり豊臣太閤公に朝見したとも書かれていた。そのため崎浜さんは“沖縄の何かをお願いしに行ったのかが謎だ”と話した。調査のため向かったのは那覇市歴史博物館の学芸員の鈴木さん。崎浜家の家譜を読み解いてもらうと“我那覇”とは現在の那覇空港一帯のことで秀昌はこの地域を収めていた地頭で琉球王国でも地位のある役人だったとのこと。鈴木さんは「球陽」という琉球王国時代の公式の歴史が書かれた歴史書を調べ、そこには牛助春という我那覇さんの中国名が記されており、大阪に赴き対抗秀吉公に朝見したとあった。秀昌はなぜ大阪に向かったのか?この頃、朝鮮から中国進出まで目論んでいた秀吉は、琉球王国に食料支援を強く求めていた。一方で中国との貿易が盛んで友好関係にあった琉球。秀昌も中国名をもち自らも行き来していた。そんな板挟みの状況の中、大阪への使節団の一員になった秀昌は秀吉に譲歩を迫った。秀昌はなぜ秀吉の怒りをかわなかったのか?琉球正史には、秀吉が秀昌の頭の冠が大きいためそれをかぶると首下までハマるぐらい大きく、秀昌の頭の大きさに驚きほめたというエピソードも綴られており、それにより場を和ませたという。しかし交渉をすすませたのはそれだけでなく、中国からの帰り道に嵐にあい薩摩に立ち寄ることになった秀昌は、琉球を攻めるため我那覇を薩摩藩に引き入れようとするも、秀昌は命を顧みず薩摩藩の命令に反したという記録もあり、その忠誠を尽くす姿勢が評価されたという。崎浜さんはこの内容をきき「先祖を誇りに思いますね」などとコメントした。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年7月16日放送 20:54 - 21:54 テレビ東京
開運!なんでも鑑定団織田信長・高杉晋作・坂本龍馬・高山彦九郎の書
鑑定するお宝は「織田信長・高杉晋作・坂本龍馬・高山彦九郎の書」。織田信長の書は秀吉から戦況報告を受けた信長が明智光秀らに指示をする書状だとみられる。高杉晋作の書は中唐初めの八人の酒豪を謳った杜甫の詩「飲中八仙歌」の一部が記されている。坂本龍馬の書は自作の詩のようで、琉球との合一に思いを馳せて今夜皆で酒を飲むという意味だと推察される。高山彦九郎の書は自作の詩の[…続きを読む]

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