2023年11月8日放送 0:10 - 0:55 NHK総合

あなたのファミリーヒストリー
沖縄編 第3回〜不屈の先祖たち〜

出演者
寺門亜衣子 今田耕司 国仲涼子 
(オープニング)
オープニング

オープニング映像。

今回は・・・

今回は「第3回 不屈の先祖たち 視聴者版 沖縄編」。

あなたのファミリーヒストリー 沖縄編
皆さんの先祖の謎を調査 14代前が秀吉に接見!?

ファミリーヒストリー沖縄編。依頼した崎浜さんは、曽祖父から先祖は豊臣秀吉に会ったと言われていたため気になっているという。国頭郡本部町にある崎浜さんのご自宅を伺うと、崎浜家譜ににはは14代前に我那覇ぺーちんという呼び名が記されており、大阪にあがり豊臣太閤公に朝見したとも書かれていた。そのため崎浜さんは“沖縄の何かをお願いしに行ったのかが謎だ”と話した。調査のため向かったのは那覇市歴史博物館の学芸員の鈴木さん。崎浜家の家譜を読み解いてもらうと“我那覇”とは現在の那覇空港一帯のことで秀昌はこの地域を収めていた地頭で琉球王国でも地位のある役人だったとのこと。鈴木さんは「球陽」という琉球王国時代の公式の歴史が書かれた歴史書を調べ、そこには牛助春という我那覇さんの中国名が記されており、大阪に赴き対抗秀吉公に朝見したとあった。秀昌はなぜ大阪に向かったのか?この頃、朝鮮から中国進出まで目論んでいた秀吉は、琉球王国に食料支援を強く求めていた。一方で中国との貿易が盛んで友好関係にあった琉球。秀昌も中国名をもち自らも行き来していた。そんな板挟みの状況の中、大阪への使節団の一員になった秀昌は秀吉に譲歩を迫った。秀昌はなぜ秀吉の怒りをかわなかったのか?琉球正史には、秀吉が秀昌の頭の冠が大きいためそれをかぶると首下までハマるぐらい大きく、秀昌の頭の大きさに驚きほめたというエピソードも綴られており、それにより場を和ませたという。しかし交渉をすすませたのはそれだけでなく、中国からの帰り道に嵐にあい薩摩に立ち寄ることになった秀昌は、琉球を攻めるため我那覇を薩摩藩に引き入れようとするも、秀昌は命を顧みず薩摩藩の命令に反したという記録もあり、その忠誠を尽くす姿勢が評価されたという。崎浜さんはこの内容をきき「先祖を誇りに思いますね」などとコメントした。

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皆さんの先祖の謎を調査 伝説となった空手家

次の依頼者は沖縄市在住の山城巨佳さん。祖父から、先祖に空手家の「武士 松茂良」がいたという話を聞いたという。興作は、母方の松茂良家で8代以上前に分家した遠縁にあたることがわかっている。沖縄伝統空手道振興会の仲村顕さんによると、沖縄では諸外国の交流を通して日本や中国の武術の影響を受け、空手が士族の教養の一部として継承されてきた歴史があるという。興作は国のホームページにも記載され小説化もされている。琉球王国時代、興作が住んでいたとされる泊地区は中国からの船が係留する港町され、興作の逸話がいくつも残されているが、裏付けとなる公的な資料は見つかっていない。しかし、新聞で小説が連載されたり映画が制作されたりと、彼の存在は昭和まで脈々と語り継がれている。戦後、沖縄がアメリカの支配下となり辛い思いをする中で、生きる力となるヒーロー像が興作だったとされている。そして、興作を題材にした映画に、山城さんの祖父の興啓さんが出演していたことがわかった。祖先のルーツを聞いた山城さんは、涙を零した。

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皆さんの先祖の謎を調査 アンマー学校の秘話

中川陽介さんの投稿を調査。中川さんは生まれも育ちも東京で13年前に居住し糸満で農業をしている。母から内地から沖縄へ来て仕事をしていたという話を聞いた。そこでわらにもすがる思いで番組に投稿したという。沖縄南部の特産品、さやいんげんとトマトを栽培。気になる曽祖父は勅使河原溥。勅使河原溥は洋介さんの母方の曽祖父。写真の下には文字が書かれていた。明治38年、那覇女子技藝学校、博設立の学校と読める。沖縄の女性は琉球王国の時代、商売や家事をしながら家のなかでしつけを受けて成長。明治になってもその風潮は変わらなかった。長い間、女性は教育とは無縁だった。沖縄で勅使河原博は1862年の生まれ。生まれた場所は岐阜・大垣市。現地を訪ねると孫が見つかった。勅使河原正海さん(78)。溥の書いた履歴書を持っていた。明治19年、中学の教員免許を東京師範学校でとったと書かれている。東京師範学校を卒業するということは明治政府が求める教育を普及させる大きな役割を担っていたのではという。溥は20代で興文尋常高等小学校の校長となる。勅使河原溥は近代化の波としていち早く新しい授業を始めた。イギリスから教師を招き、英語を教えた。彦根市立城東小学校では運動会を始めた。明治38年、溥は42歳で沖縄へ赴任。女子就学率が沖縄は極端に低かった。明治30年代になると就学率は上昇。その結果、子どもは学校で学び、母親は読み書きができない状況となり問題視されるようになった。明治38年9月11日の琉球新報。女子技藝学校開校式、勅使河原溥が熱心に計画中だったと書かれている。対象となる生徒は学齢期を過ぎた婦女子でそれまで教育を受けられなかった者。和服裁縫や編み物、国語、算術などを教えた。勅使河原溥の教育は琉球文化を否定する一面もあったという。多くは夫のある婦人で幼児を抱いて通う生徒もいた。アンマー(母親)の学校と呼ばれたという。のちに日本化の問題も指摘されるが女性たちが学ぶ喜びを知ったのも確かなこと。那覇女子技藝学校は勅使河原溥が独力で私財を投げうってまで経営したという。沖縄の女性の役に立ちたいという気持ちは純粋なものだった。那覇女子技藝学校は沖縄県立第二高等女子学校となった。沖縄戦のとき、生徒たちが白梅学徒隊の看護婦として従軍したことが知られている。技藝学校が軌道に乗ると岐阜に戻る。岐阜市立岐阜小学校で58歳まで校長を務めた。中川さんは映画の仕事をしていたという。今も映画の関係のことをしていて沖縄の若い人と何かやるのが楽しいという。

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皆さんの先祖の謎を調査 泡盛・戦禍の中の奇跡

沖縄の地酒・泡盛。米と黒麹菌で作られる蒸留酒だ。3年以上熟成させた古酒は「クース」と呼ばれ、かつては100年を超えるものも珍しくなかったという。酒造所は依頼者・裕子さんの曽祖父・宗道さんが戦後に創業。何度も繰り返した言葉が「いずれ古酒の時代がくるからとにかく頑張って古酒を造って寝かせておきなさい」。昭和50年に他界した宗道さん。その心の内を解き明かすことができるのか。調査の手がかりとなるものを裕子さんが見せてくれた。それは新聞の死亡広告。平成21年に亡くなった「當眞竹子」さんのものだった。親族のもとをたずねる。竹子の息子の妻・信子さんから話を伺うことができた。琉球王国時代、酒造りが許されたのは首里地区のみ。昭和のはじめは70弱の酒造所があり、當眞家その1つだった。竹子は泡盛の製造に欠かせない麹づくりの職人。当時は機械もなく手で触れた感覚で黒麹菌が活性化する温度を管理していたという。昭和20年、沖縄で地上戦が始まると、竹子は子どもを連れ疎開。しかし竹子の義母は酒を守るために残ったそう。最後には逃げたが途中で亡くなった。琉球泡盛研究家の萩尾俊章さんによると、戦時下ではクースを残そうと同じような行動をとった酒造所が多くあるという。終戦後、ほとんどの酒造所は壊滅。土に埋めたクースのかめも割れてしまう。発酵に欠かせない黒麹菌も喪失。他の菌では変わりがきかず、泡盛は危機にひんした。そんななかである奇跡がおこる。酒造会社を経営する佐久本政良さんが焦土のなかで見つけたのは焼け残ったむしろに付着した黒麹菌だった。政良はそれを増やし無償で提供しようと考える。政良の息子・勝さんによると、そこで貢献した人物がいたという。竹子は酒を守ろうとして亡くなった義母の志を継いでいた。當眞家での泡盛づくりは断念したものの、他の会社を手伝い手で覚えた温度管理などを伝える。そんな竹子をぜひにと招いたのが酒造りは素人だった山川宗道だった。明治27年、現在の本部町で生まれた宗道。大正3年、二十歳のころ苦しい暮らしから抜け出そうとペルーに移民する。我慢を重ねて資金をため、しょうゆ工場を始めた。異国での苦労が故郷への思いを強くした。今もペルーで暮らす義理の妹・静子さんは「宗道さんはふるさとをとても大事にする。本部町はとても沖縄は大切にする。いつもその気持ちはある。」と話す。昭和のはじめ、しょうゆ工場が軌道に乗ると弟に任せて宗道は帰国する。戦争で甚大な被害を受けた沖縄。宗道が酒造りを始めたのは大好きな故郷の誇りを取り戻そうとしたのかもしれない。クースは琉球王国時代から海外の珍客や江戸幕府をうならせた宝の酒だった。宗道が立ち上げた酒造ではその思いを受け継ぎ、クースづくりに力を注いでいる。裕子さんは「すごい。色々苦労したんだろうなと思う。戦前に帰ってきているみたいなので沖縄戦も体験して、いろんなことを見て平和の大切さを実感したんだろうなと思う。」などと涙ながらにコメントした。

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(エンディング)
次回予告

「ファミリーヒストリー」の次回予告。

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