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「白井助七」 のテレビ露出情報

きのう開業から140年を迎えた大宮駅。大宮は鉄道とともに街が栄えたことから鉄道のまちとも呼ばれている。今回、大宮駅のすべてを知るという人と訪ねてきた。さいたま観光国際協会の筑波伸夫会長は1981年に旧国鉄に入社、大宮駅の駅長も務めこの駅を知り尽くしている。まず案内されたのは上越新幹線の0キロポスト。1982年、大宮〜新潟間で開業した上越新幹線はその後、東京に延伸したが、0キロポストは大宮のまま。さて今では全国有数の利用者数を誇る大宮駅だが、開業当初はここまでの発展は予想されていなかった。というのも1883年に上野から熊谷の間に鉄道が開通しただが、そのとき、大宮に駅は設置されなかった。そこで立ち上がったのが、当時、大宮で肥料などの問屋を営んでいた白井助七。白井らは土地を無償提供して誘致活動を進め1885年、大宮駅が開業した。その後、車両工場や製糸工場なども建設された。それに伴って、人口も増加。今では県内随一の商業エリアを持つまでになった。「鉄道のまち」大宮と呼ばれる所以がここにある。次に筑波さんが見せてくれたのはJRではここにしかないのではないかというもの。駅から徒歩5分ほどの陸橋からいくつもの線路が見える、列車の行き先を振り分けるための分岐器。通常は二股だが、駅の近くにある車両工場に効率よく移動させるために、このように3つに分岐させている。そして大宮には鉄道好きなら誰もが知るこの博物館がある。年間およそ72万人が訪れる鉄道博物館だが富士山や新幹線を見ることができる。鉄道のまちならではのグルメも紹介してもらった。「大宮ナポリタン」と名付けられB級グルメとして今、売り出しているという。大宮は住宅情報サイトの調査でことしの住みたい街ランキング2位なのだがその人気も鉄道とともに発展してきた歴史によるもの。あすは開村100周年を迎える大宮盆栽村について伝える。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年8月4日放送 18:30 - 20:50 テレビ東京
日ビ 全力取材!JRのウラ側全力取材!JRのウラ側 新幹線から(秘)司令室まで激レア映像大公開SP
大宮駅で急病人が出たと報告を受ける。現地へ駅員が向かっている間にホームのカメラで車内を捜索するが現場の駅員からもその姿がない。そこで東京総合司令室に確認すると東京消防庁から連絡があり、北浦和の列車が大宮の列車という確認だっという事が判明し、運転再開指示を出した。別の日雨が降っている中、ヘルメットと雨具を身に着け線路の上へ向かいポイント点検を行う。点検は見張員[…続きを読む]

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