2002年、国内はサッカー一色に染まっていた。徳増浩司は大学でラグビーの試合を見て心を掴まれた。大学卒業後は新聞社に就職するもラグビーを忘れられず3年で退社。ウェールズに留学し住み込みで掃除人をしながら本場でラグビーを学んだ。その後、茗溪学園の監督となりチームを日本一に導いた。次は日本を盛り上げたいと、ラグビー協会の職員となり、日本でワールドカップをやろうと提案した。同じ思いをもった理事たちも立ち上がり、オールジャパン体制となった。しかしこれまでワールドカップは強豪国でしか開催されていない。海外へ飛び面会を申し込んむも強豪国からは「100点差で負ける国でワールドカップはできない」と言われてしまった。国際ラグビー評議会に泥だらけで練習する高校生の姿などを見せた。そして2009年、ラグビーW杯2019日本大会が決定した。平尾は選手を強化する構想を練っていた。そしてトップリーグが誕生し試合数が大幅に増えた。トップクラスの外国人選手も日本に相次いでやってきた。その中で頭角を表したのが田中史朗だった。協会はエディー・ジョーンズをヘッドコーチに招いた。2015年のイングランド大会で日本代表は優勝候補の南アフリカに勝利した。この瞬間を平尾は病院のベッドで見守っていた。一週間前に末期がんを告知されていた。平尾は周囲には病を隠していた。友人の山中伸弥にだけは打ち明けていた。1次リーグで3勝した日本代表。スコットランドに敗れ決勝トーナメント進出はまたも叶わなかった。