1945年、ハルビン平房の一角にある標本室に何も知らされずに連れて行かれた少年は、大量のホルマリンに漬けられた人の体などを目撃し、事の一端を垣間見ていた。石井四郎中将は関東軍防疫給水部=731部隊を設立し、1936年から終戦までハルビン郊外に本部を置き、中国人・ロシア人捕虜に対する人体実験や細菌兵器を開発していた。人体実験では2000から3000人が死亡した。731部隊には14歳の少年たちも召集され細菌兵器の開発に従事しており、人々にはあまり知られて居らず、残された集合写真は少年隊の存在を締めす貴重な資料となった。2023年3月長野県阿智村にある満蒙開拓平和記念館には王希奇「一九四六」が展示されており、最大の悲劇とも言われる満州引き上げの様子が描かれている。2023年4月、取材班は731部隊の一員であった男性と対面した。