2024年10月21日放送 1:53 - 2:53 TBS

ドキュメンタリー「解放区」
標本室 731部隊 細菌戦と少年たち

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(オープニング)
オープニング

オープニング映像。

標本室 ~731部隊 細菌戦と少年~
標本室 ~731部隊 細菌戦と少年~

1945年、ハルビン平房の一角にある標本室に何も知らされずに連れて行かれた少年は、大量のホルマリンに漬けられた人の体などを目撃し、事の一端を垣間見ていた。石井四郎中将は関東軍防疫給水部=731部隊を設立し、1936年から終戦までハルビン郊外に本部を置き、中国人・ロシア人捕虜に対する人体実験や細菌兵器を開発していた。人体実験では2000から3000人が死亡した。731部隊には14歳の少年たちも召集され細菌兵器の開発に従事しており、人々にはあまり知られて居らず、残された集合写真は少年隊の存在を締めす貴重な資料となった。2023年3月長野県阿智村にある満蒙開拓平和記念館には王希奇「一九四六」が展示されており、最大の悲劇とも言われる満州引き上げの様子が描かれている。2023年4月、取材班は731部隊の一員であった男性と対面した。

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一九四六平房(中国)満蒙開拓平和記念館王希奇石井四郎関東軍防疫給水部本部阿智村(長野)

2023年4月、取材班は長野県宮田村にいる731部隊の少年兵であった清水を取材した。清水は1945年3月に731部隊に入隊した。証言者の発言をもとに作成した731部隊の本部の図を紹介した。軍隊式教育を受け終えた清水は細菌実習室に連れられ、ネズミに付着した細菌を採取し、培養する作業が割り当てられた。2023年10月、731部隊の本部跡地を取材。731部隊の本部跡地は当時のものは証拠隠滅のため破壊されたが、いくつかの建物は当時のままいまなお残されている。731部隊が残していった様々な道具などは美術館で展示されているなどと伝えた。

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宮田村(長野)平房(中国)関東軍防疫給水部本部

1945年、731部隊の本部内の総務部の一角にある標本室と呼ばれる部屋に清水は呼ばれ、清水はホルマリンに漬けられた人体を目撃した。当時清水は捕虜を解剖したものだと伝えられたが、少年兵たちは互いの作業内容を話すことを禁じられ、731部隊で何が行われているのか全体像を知るすべはなかった。清水は少年兵たちといると上官がパンを持ってきて食べたら発熱したのだなどと明かした。清水が731部隊について口にしたのは最近になってからであり、帰国後も兵士たちは箝口令が引かれ発言することができなかったが、80歳になったときに清水は若い世代に事実を伝え残すために語り始め、講演の依頼にも応じている。すると清水にはネット上で心無い発言が多く寄せられた。清水は決して嘘ではなく、経験したこと見てきたことだけを伝えているに過ぎないのだと告げた。

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関東軍防疫給水部本部
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舞台「カラフルダイヤモンド ~君と僕のドリーム2~」

11月27日から12月1日まで東京・赤坂RED/THEATERで開催する【舞台「カラフルダイヤモンド ~君と僕のドリーム2~」】の告知。

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舞台「カラフルダイヤモンド ~君と僕のドリーム2~」赤坂RED/THEATER
標本室 ~731部隊 細菌戦と少年~
標本室 ~731部隊 細菌戦と少年~

2023年12月、清水は731部隊の外隊員とも交流していて長野県軽井沢町にいる3年先輩の須永と対面した。須永が本部から唯一持ち帰ることができた写真アルバムを紹介。須永は731部隊に配属前から防疫給水部であることは知っていたが細菌兵器を開発するとは思ってもいなかったなどと明かした。731部隊は黒龍江省安達に広大な実験場を所有していた。実験場では捕虜たちが円形に配置され、ペスト弾などの実験を行っていたという。2023年11月、浙江省義烏にいる細菌兵器で家族を亡くしたという王を取材。王は細菌兵器により死者が爆発的に広がり、村も焼かれたなどと伝えた。2002年8月、東京にて731部隊の細菌兵器の被害を受けたとして中国人遺族たちが賠償と謝罪を求めて裁判を行い、最高裁で賠償請求は棄却されたが細菌戦の事実を司法が認定した。しかし翌年、当時の政権により731部隊が細菌戦を行ったことを示す資料は現時点で確認されていないとされた。細菌兵器で叔父を亡くしている王選は日軍細菌戦史実陳列館を設立して細菌戦があった事実を次世代に伝える活動をしており、王選は被害者の命の尊厳を守るためなのだなどと語った。

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1945年8月15日、310万人もの被害者を出しながらも日本は敗戦した。当時から細菌兵器の使用はジュネーブ議定書にて禁止されており731部隊の幹部たちもそのことは認識していて、少年兵たちも駆り出されて徹底的に証拠隠滅が行われた。清水は終戦3日前に焼かれたマルタこと捕虜たちの遺骨を拾うよう命じられていた。撤退時に清水は上官から拳銃と青酸化合物を渡され、標本室の存在を知るがために捕まった場合には自決するよう命じられ、帰国が確信となった際に拳銃と青酸化合物を海に投げ捨てた。清水は今の若い世代には戦争の残酷さをしっかり学んでほしく、戦争は絶対にやってはいけないのだなどと語った。

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ジュネーブ議定書関東軍防疫給水部本部
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正体

映画「正体」は11月29日公開。

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正体
標本室 ~731部隊 細菌戦と少年~
標本室 ~731部隊 細菌戦と少年~

敗戦が濃厚となると大人たちは守るべき子どもたちをも武器に仕立て上げようとした。戦況が悪化していた1944年に制作された記録映画「戦ふ少国民」では、軍服を着用した校長が生徒たちに飛行訓練や手旗信号などと戦争遂行のために鍛錬する子どもたちの様子が描かれている。731部隊が満州の地で細菌培養に従事していた頃、沖縄では少年兵たちが激しい地上戦を戦っていた。少年たちだけで構成された護郷隊は14歳以上の子どもたち1000人が召集され、与えられた作戦のメインは奇襲目的のゲリラ戦であった。少年たちが戦ったとされる蛸壺壕は数多く確認されている。護郷隊の中には怪我で戦えなくなった少年が上官に殺されたこともあるという。その一人が高江洲義英であり、弟の義一は兄の本当の死因を知ったのは終戦から70年後であった。1945年、沖縄では組織的な戦争は終幕し、大人たちは武器を置いたが、少年兵たちはその後もゲリラ戦を繰り広げ続けた。16歳の頃に護郷隊に入隊した瑞慶山は、迫撃砲で仲間たちが手足が吹き飛ばされるのを見てきたなどと語った。2024年6月23日、慰霊の日に沖縄・恩納村では護郷隊の慰霊碑がある公園で子どもたちが清掃活動を行い、瑞慶山も慰霊碑に手を合わせていた。

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2024年8月、ハルビンに訪れた清水は731部隊本部跡地に向かい、犠牲者たちに祈りを贈った。清水は当時、現地に731部隊に居た人でないと自分の気持は分からないのだなどと語った。2024年9月、長野・宮田村に訪れた取材陣は慰霊の旅を終えた清水を取材した。清水は展示されているホルマリン容器を見て当時の凄惨な情景を思い出し、胸が締め付けられるようだったなどと明かした。

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2024年9月、長野県宮田村。731部隊の捕虜を使った人体実験、細菌兵器の開発研究は戦後、その主要人物たちは罪を問われることは殆どなかく、医療界で要職に就いたとされる。その一方で少年隊員たちは口を閉ざしたまま手を差し伸べられることもなく、戦後を生き抜いてきた。清水は731部隊について語り継いでいくべきかについて、慰霊の旅を終えてからは語り継ぐか辞めるべきか迷い続けているなどと語った。

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(エンディング)
エンディング

エンディング映像。

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