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「磯子署」 のテレビ露出情報

死者14人、負傷者約6300人を出した地下鉄サリン事件の発生からあすで30年。オウム真理教とサリンとの関連性を疑いながらも、事前に強制捜査に踏み切れなかった警察。捜査の進め方にどんな課題があったのか、当時の警察庁刑事部門のトップに聞いた。発生当時、警察庁刑事局長だった垣見隆さん。どうすれば事件を未然に防ぐことができたのか、考え続けてきた。垣見さんは「オウム教団に対する認識も甘かった」と語った。オウムと向き合うようになったのは、地下鉄サリン事件の前年、1994年。死者8人、負傷者140人を超える松本サリン事件が発端だった。長野県警は、事件の被害者で第一通報者の男性を疑っていたが、その2か月後。垣見さんのもとに長野県警本部長から教団の関連会社がサリンの原材料を大量購入していることが分かったと電話が入った。 垣見さんは、オウムは危険な教団という認識を強めていった。
山梨・旧上九一色村にある教団施設で異臭が発生し、そばの草木が枯れたことが垣見さんに報告された。警察は周辺の土壌を採取。分析の結果、サリンを分解したときに出来る残留物が検出された。しかしオウムがサリンを製造した証拠をつかめなかったため、別の事件で強制捜査に入ることができないか検討が始まった。警察庁のオウム専従班は、全国の都道府県警察にオウムの関与が疑われる事案がないか、確認することにした。その結果、85件が浮上。このうち山梨県で起きた信者の監禁や宮崎県での拉致を突破口にしようとした。一方で、県警だけでは山梨の教団施設に強制捜査に入る十分な体制が整わなかった。そして1995年2月、転機となる事件が起きる。これまで都内では、オウムによる事件が把握されていなかったが、信者の家族が拉致される事件が起こり、警視庁が捜査に加わることになった。ガスマスクや防護服などを調達した強制捜査は3月22日に決まった。しかし3月20日に地下鉄サリン事件が発生。
垣見さんは「オウムへの危機意識を組織全体で共有できなかったことが、事件を防げなかった最大の要因」と振り返り、「(オウムへの)脅威の認識が十分でなかったことが大きな反省点」と語った。小島周一弁護士は、地下鉄サリン事件の6年前に、同僚の坂本堤弁護士とその家族を教団幹部らに殺害された。心配でアパートに駆けつけた小島弁護士は「オウム真理教しか思い浮かばないプルシャ(オウムのバッジ)が出てきたので、もう間違いないと。ビニールに入れて、磯子署にその足で届けに行った」と語った。信者を家族のもとに返す活動をしていた坂本弁護士が、オウムに拉致された可能性を、神奈川県警に伝えたが及び腰だったという。小島弁護士ら弁護士有志は、救う会を結成。警察による捜査の強化を求めて、署名活動も実施。小島弁護士たちのもとには、全国からオウムに関する被害の相談や情報が寄せられ、そのつど警察に伝え脅威を訴え続けた。なぜ未曽有の無差別テロを防げなかったのか。警察庁元刑事局長・垣見隆さんは、みずからに問い続けている。一連のオウムの事件で、広域捜査の課題が浮き彫りになり、翌年法改正が行われ、警視庁と各警察本部が管轄区域にとらわれず捜査できるようになった。もっと早く教団の脅威を把握し、犠牲を防げなかったのか。反省と教訓を今後に生かしていく必要がある。

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