万博記念公園の事務所が保管する資料を改めて調べ直すと、これまでないと言われてきた当時の図面が見つかった。見つかった図面は計3枚で、寸法や材質などの情報が書き込まれていた。設計図の中には「いのり」という言葉が見つかった。福岡は、岡本太郎が2度訪れ「生命のノスタルジアを覚える」と書き残した沖縄の久高島へ向かった。島に点在する御嶽と呼ばれる祈りの場で、心を揺さぶられたという。島ではかつて、死者は風葬で送られてきた。朽ちた遺体は自然に還り、再び新たな生命へとつながる。福岡は、地底の太陽の祈りは死への祈りだったのではないか、生と死が対比されているところにいのちの輝きがあると話した。