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「竹の子族」 のテレビ露出情報

昭和40年、原宿で流行していたのはナンパ。前年に行われた東京オリンピックに伴う都市整備で表参道が様変わり。日本のシャンゼリゼ通りと呼ばれるようになり、原宿はおしゃれな街の代表になった。最新のスポーツカーに乗った原宿族と呼ばれる若者が集まり、至る所でナンパが行われていたという。1970年代に入ると、原宿=おしゃれというイメージが全国的に定着。そのきっかけとなったのが昭和45年に創刊された「anan」と昭和46年創刊の「non-no」。この2つの雑誌が原宿の特集を組んだことで日本のファッションの中心地として知られることになり、多くの若者が押し寄せた。原宿のトレンドを生み出していたのはマンションメーカー。このマンションメーカーの一部はその後、DCブランドと呼ばれるようになり、1980年代半ばに爆発的ブームに。DCブランドの聖地として有名になったのがラフォーレ原宿。DCブランドの販売員の名称は「ハウスマヌカン」。英語:ハウス+フランス語:マヌカンの造語。昭和55年、原宿の歩行者天国に登場したのが竹の子族。「ブティック竹の子」で売られているカラフルな衣装を身にまとい、踊ることから竹の子族と呼ばれるようになった。1980年代、原宿の若者であるものが大流行。それはショップ袋(通称:ショッパー)。数あるショッパーの中でも特に人気が高かったのが「BEAMS」。BEAMSは昭和51年に原宿に1号店をオープン。繁華街から少し離れた6.5坪の小さなお店だったが、アメリカから直接買い付けてきたトレーナーやシューズなどを求めて、全国から若者が訪れるように。操業開始から10年後の昭和61年、オレンジ色に地球のロゴマークのショッパーが登場し、人気を不動のものとした。その後、ロゴスウェットや紺ブレを大流行させ、今では全国150店舗以上を展開。常に若者ファッションに影響を与え続けている。1980年代後半から原宿でタレントショップが大流行。多いときには原宿だけで52店舗のタレントショップがあった。1993年、女子中高生の間で「トロール人形」がブームに。紐が自然に切れたら願い事が叶うとされているミサンガも同じタイミングでブームになっており、願かけアイテムが流行った年となった。1990年代、原宿のファッションといえばロリータファッション。伝説のロリータがロビンちゃん。不思議ちゃんキャラが世間に受け、テレビやCMに引っ張りだこ。「笑っていいとも!」にも準レギュラーとして出演するなど、一躍時の人となった。ロリータの人気は日本だけにとどまらず世界へ。日本のKawaii文化の象徴となった。同じく1990年代に原宿を中心に流行したファッションが英語で装飾的という意味の「デコラティブ」から名前がついたデコラファッション。しかし、市販されているものは少なく、自分が満足できるファッションをするため、手作りでアイテムを作る人も多かったという。2000年代に入ると、原宿はスイーツ戦国時代に突入。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年3月24日放送 19:00 - 21:00 フジテレビ
ネプリーグ3番組が威信をかけ常識力で激突! 脱力タイムズ ぽかぽか ネプリーグ
全力!脱力タイムズチームが「ハイパーボンバー」に挑戦。「Q.それぞれの昭和のニュース映像を見て空欄に入る言葉を10個答えろ」などが出題。正解は「紅茶などに砂糖・菌類を入れ発酵させた飲み物紅茶キノコがブームに」など。

2025年1月28日放送 19:57 - 20:42 NHK総合
うたコン(うたコン)
ここから80年代のヒットソングをお届けする。出演者が選ぶ80年代元気ソングをプレイバックした。森川由加里「SHOW ME」などを紹介した。

2025年1月7日放送 19:00 - 21:00 フジテレビ
今夜はナゾトレ今年で昭和100年!昭和平成令和の歴史を超貴重映像から学ぶSP
「ハチ公のレコードの特典は?」。A.ハチ公のお守り。B.実際の鳴き声。という問題。正解は「」B.実際の鳴き声。
「渋谷駅の下に建設した施設は?」。A.水を貯める施設。B.揺れを吸収する施設。という問題。正解は「A.水を貯める施設」。
「このドリンクの名前は?」という問題。正解は「セーキ」。
「竹の子族の衣装は何から着想を得た?」。A.観音様が羽織る衣。[…続きを読む]

2024年12月27日放送 18:30 - 22:52 フジテレビ
ザ!昭和の99大ニュース(ザ!昭和の99大ニュース 池上×加藤の決定的映像連発SP)
77位は竹の子族登場。1970年代末に原宿で起きた社会現象で、ディスコに行けない未成年が派手な衣装を着て野外で踊った。

2024年10月25日放送 15:50 - 19:00 日本テレビ
news every.老舗にしか出せない味がある 家族で守る東京100年食堂 第7弾
創業当時は幕末で屋台で始めたため立ち食いのような形で始めたのだという。明治3年に今の場所に店を構え、店名も中川の「中」と2代目の「清五郎」から「中清」にしたのだという。敬規さんは父が58歳の若さで亡くなり店存続のピンチが迎えたが、店を継ぎ、かおるさんと結婚、優太さんが誕生した。その後順風満帆だったが、東日本大震災の発生で余波は店にも及び、震災の翌日から売り上[…続きを読む]

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