毛利攻めの最中、荒木村重が毛利方に寝返った。黒田官兵衛は説得のため、村重の城へ向かうも虜囚となってしまう。竹中半兵衛は官兵衛の家族に宛てた手紙で、「涙をながし候」と記載されている。日付は病没する2か月前で、病をおして手紙を書いていたと考えられる。主君、信長は官兵衛が裏切ったと考え、息子の松寿丸を弑するよう命令していたという。半兵衛は居城近くに松寿丸を匿い、「とらわれの官兵衛とやり取りし、無事だと分かった」と家族に手紙で報告。また、手紙のなかで、官兵衛に松寿丸の面倒を頼むと懇望され、幼少の息子がいた半兵衛は涙を流したという。救出された官兵衛が松寿丸と再会を果たした頃、半兵衛はすでにこの世を去っていた。黒田長政(のちの松寿丸)、竹中重門は関ヶ原の戦いでは東軍につき、ともに戦った。長政は半兵衛が生前に使っていた兜と同じ形のものを使い、奮戦した。
