今回は、ことし亡くなったスキージャンプ選手・笠谷幸生さん。札幌オリンピックで「日の丸飛行隊」として金メダルを獲得し、冬のオリンピックで初の金メダリストとなった笠谷さんの貴重な映像を紹介。笠谷さんは昭和18年に現在の北海道仁木町で生まれ、スキージャンプの選手だった兄の指導を受け余市高校1年のとき全日本選手権で3位に入った。明治大学では全日本選手権で優勝。卒業後は酒造メーカーで働きながら競技を続け、初めて参加したオリンピック・インスブルック大会に続き昭和43年にはグルノーブル大会に出場したが、不本意な成績に終わり、世界と戦うため笠谷さんは一からフォームを見直した。札幌オリンピックまであと4年に迫り日本の競技関係者は選手の強化に乗り出した。年1回だったジャンプチームの合宿は年間100日に増加。海外遠征を重ねた。当時高価だった8ミリカメラを導入しフォームを撮影して検証した。札幌オリンピックの前哨戦となる国際大会で笠谷さんは3連勝しメダル獲得への期待が高まった。札幌オリンピックが開幕しプレッシャーを感じたが笠谷さんは1回目のジャンプでトップに躍り出た。2回目のジャンプもうまくいって日本人として初めて冬のオリンピックで金メダルを獲得した。笠谷さんは現役引退後、指導者として活躍。全日本スキー連盟のジャンプコーチや部長を務めた。