阪神・淡路大震災が発生した直後、被災した地域では断水が発生。飲み水や生活用品が不足するなど水の確保が大きな課題だった。その困難な状況を少しでも解消しようと支援したのが、のちに東日本大震災で大きな被害を受けた地域のひとつ、宮城・気仙沼市の市民たちだった。31年前の震災直後、気仙沼の港には被災地の神戸に届けるため飲み水が入った約3000個のポリタンクを市民が準備していた。当時、この支援に関わった畠山和純さんと小松紀昭さんは地元の漁協を通じて市民に物資の支援を呼びかけた。呼びかけを受け食料や毛布のほか、被災地で飲み水が足りないと知った市民たちから水を運ぶためのポリタンクが提供された。小松さんたちは支援のため遠洋マグロ漁船の「第五光洋丸」を使わせてもらいたいと船主に願い出た。船長を任された齋藤清伍さんは当時のことを「絶対行くんだ。やるんだ。それしかなかった」と振り返る。約1000キロの航海を終えて第五光洋丸は神戸港に入港。気仙沼市民の思いが込められた水60トンと支援物資が無事、届けられた。その16年後、東日本大震災が発生。気仙沼は壊滅的な被害を受けた。畠山さんと小松さんも自宅や船を失うなど大きな被害を受けたが、全国からの支援を受け生活を再建した。東日本大震災の発生直後、神戸市東灘区の岡本商店街では気仙沼の商店街を支援するためにボランティアを集め、週1回のペースで現地に入り後片付けなどの作業を手伝った。また、神戸市内に気仙沼の特産品を販売する店をオープンし、収益を気仙沼に寄付するなど復興につながる取り組みも行ってきた。
