昭和28年、甲子園でテレビ中継がスタートし、NHKの元ディレクターである毛利泰子さんはスタッフとして参加していた。球場に持っていけたのは3台ほどで、試合結果がわかれば及第点だったという。その後、カメラは増え、実況家の小野塚康之氏は「投手の顔、打ち取られた人など人々のドラマ、甲子園の熱量が伝わっていく」などと語った。さらに甲子園では幾多の名勝負が誕生。伝説の試合の1つとされるのが69年8月に行われた松山商業と三沢高校の一戦である。試合は引き分けの末、史上初となる決勝再試合に。最後は松山商業が優勝を果たした。松山商業のOB、扇谷志朗氏は大阪の税務署で働くなか、後輩たちの有志に感激したといい、今も税理士として活躍している。