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「1991年」 のテレビ露出情報

8年目の騎手・坂井瑠星はマイカー通勤。職場の「栗東トレーニングセンター」には2000頭を超えるサラブレッドが。坂井は身長170cmと騎手にしては高身長。1日に5頭ほど馬の調教を行う。師匠の調教師・矢作芳人いわく、坂井は競馬に対して真摯に向き合っているそう。坂井の父も地方競馬の元騎手で、幼少から騎手を志願。競馬学校でも熱心に勉強。22年秋華賞、朝日杯などG1を立て続けに制覇し年間98勝。通算2500勝の元騎手・福永も、その実力を高く評価する。坂井が初めて勝ったG1レースでは、スタート直後の位置取りがうまく勝利に繋がったと分析。坂井はレース前日、過去の映像などを見て徹底的に分析する。次のレースのライバルとして見込んだのは2頭。ライバルを直後でマークするという作戦を立案すると、結果もそのとおりに。
若手騎手・坂井が、米最高峰のレース「ケンタッキーダービー」での騎乗が決定。これで海外遠征は4カ国目。海外での活躍を志したのはデビュー2年目、師匠の勧めで豪州留学したことがきっかけ。 当時はレースができず辛かったそう。それでも滞在を延長するなど前向きな姿勢をアピールし、G1レースへの出場も叶った。この経験でハングリー精神が身についたそう。舞台のチャーチルダウンズ競馬場はアメリカ競馬の聖地。同大会への日本人出場は武豊以来2人目。ただ、当日になって馬の出走取消によりレースへは出られず。本人は悔しみながらレース鑑賞。レース後、土の感触を調べるなどした。
日本競馬界では外国人騎手が台頭。日本人騎手とは技術の差が大きいと話す坂井は、その体のブレがないフォームを真似るべく訓練。坂井が初めて競馬に憧れたのは、05年日本ダービーを見てのこと。以来、日本ダービーへの出場が夢に。3年前に臨んだ初めてのダービーはコロナ禍で無観客とあって、今年のダービーには期待を寄せる。その1週間前、坂井は同じ東京競馬場での大きなG1レースへ。レース前には芝の状態を確かめる。騎乗する馬はここ2戦で大敗していて、そのケアも坂井自ら行う。結果、4着。レース後には仲間と飲み会。仲間からは坂井について「プライベートはぜんぜん違う」との声も。坂井がダービーで乗るのは実力馬で、スタミナも豊富。これに合わせて挑んだダービーでは、スタート直後に落馬。3日後、地方競馬場でレースに出場するなど、勝利への貪欲な性格は健在。日本ダービー史上、落馬したのは過去に2人いて、いずれもダービージョッキーになっている。

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