神田春陽が、黒部ダム建設について語る。昭和30年、電力不足を解消するために関西電力の太田垣士郎社長が、黒部渓谷で水力発電を行う計画を打ち出した。黒部ダムの建設には、大手建設会社5社が参加した。5.4キロのトンネルを掘ることになり、トンネルの掘削スピードが日本一と言われた笹島信義が参加した。昭和31年8月、トンネル工事が始まった。工事開始から8か月、工事現場で水が出て、水を抜くことになった。
トンネルの神様と呼ばれた牧田甚一が、黒部ダム建設について「神様にならできる」と語った。トンネルのルート変更が提案されたが、笹島信義は「冬にはトンネルを掘れるようになる」と語った。関西電力の太田垣士郎社長が、工事現場を視察した。トンネル工事のルートは、変更されないことになった。
トンネルの神様と呼ばれた牧田甚一が、黒部ダム建設について「神様にならできる」と語った。トンネルのルート変更が提案されたが、笹島信義は「冬にはトンネルを掘れるようになる」と語った。関西電力の太田垣士郎社長が、工事現場を視察した。トンネル工事のルートは、変更されないことになった。
