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「粋粋BOX」 のテレビ露出情報

瑛斗さんは全国の漁師が抱える問題に直面していた。この日の釣果は市場に出せないヒトデや貝類ばかり。他の先輩漁師はそれでも稼いでいるというが今回は4000円ほどだったと瑛斗さんは答えた。今では魚自体の値段も下がっているというが黒田さんは国にはそうした政策をしてほしいと答えた。後継者不足と若い人材が永続的に漁師で生計をたてられるかと不安に感じているのは門川町だけではない。長年にわたる乱獲や、気候変動により日本の漁業生産量は30年間で3分の1にまで減少している。その影響もあり漁業就業者は半数以下に。日本の漁業は衰退の一途をたどる。多くの漁村が解決策を模索する中でこの危機を脱そうとしている地域がある。 
山口県萩市は長州藩の城下町として栄え、明治維新の志士たちゆかりの地が数多くおこる志士の町。萩市の沖合8キロに、日本海に浮かぶ大島は、人口およそ560人。260世帯が暮らす小さな島。島民の半数は巻き網漁を主体とした漁業で生計をたてる漁師。地元の漁師は、15年前には海の様子が変化したという。まずはシケが多くなり、出漁日数が減り獲れる魚も少なくなったという。段々感じていた異変は昨今は如実に感じるようになったという。魚が獲れなくなると給料が少なくなり、若い人が入ってこず人手不足になってしまったという。全国の漁師の中でいち早く海の異変、漁業の未来に不安を抱いた長岡さんは、2010年に藁をもすがる思いで頼ったのが結婚を機に萩に来た当時23歳の坪内さんだった。漁師たちが苦手としていたデジタルに強い女性に島の漁業が託された。坪内さんは当時は漁師は数字をみず、漁獲量の変化を深刻に捉えていなかったという。2011年に坪内さんと地元漁師は萩大島船団丸を結成。坪内さんが新たな事業計画として提案したのは当時難しいとされていた鮮魚を漁師自ら飲食店や個人に発送する地元の漁業協同組合と協議の上に出荷にこぎつけた。取引先0からのスタートで漁を終えた漁師自らスーツを着て営業活動を行い。毎月2、3件ずつ販路を開拓。現在販売サイトの登録件数は3000件を超えた。
漁師の長岡さんは新しい取り組みについて漁が終わりクタクタの中梱包などの作業をするのはかなり過酷だという。しかし、今それをしたからこうして成功しているが当時何もしていなかったらと思うとゾッとすると答えた。6次産業化という戦略で島の漁業を救う光となった萩大島船団丸。それに呼応するように若い仲間たちも島に渡ってくるようになった。また長岡さんは6次産業化により魚を届けた先を見ることができ、お客の喜ぶ声が嬉しいと感じていると答えた。

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