TVでた蔵トップ>> キーワード

「繪草紙評判記 菊壽草」 のテレビ露出情報

様々な才能の者が集まって狂歌を楽しむ「連」。蔦重たちの時代、柳橋の料亭などで狂歌の会が催されたという。その火付け役は、「寝惚先生文集」をヒットさせて一躍有名になった大田南畝。南畝は現在の東京都新宿区中町に住んでいたと言われている。耕書堂が刊行した作品を南畝が高く評価したことで、蔦重が南畝邸を訪れた。この時のことを南畝は日記に記している。南畝が「甘露門」と呼び度々訪れていた浄栄寺で、狂歌の会を催していたという。そして、「天明狂歌」と呼ばれる一大ブームが巻き起こったのだ。

© 2009-2025 WireAction, Inc. All Rights Reserved.