長野県にある美ヶ原高原。高原とは言うものの日本百名山に数えられている。長野県松本市の登山口から台上と呼ばれる美ヶ原高原を目指す。台上までは約2時間半ほど、沢のせせらぎを聞きながら進んでいく。途中知り合った登山客、ルートを変えて何度も登っているという。沢の近くで涼んでいた荒井美代子さん、松本市出身で若い頃はよく美ヶ原高原に登っていたという。この日は30年ぶりの登山だという。荒井さんの母久子さんは夏に決まって登山に連れ出してくれたという。しかし7年前に認知症の診断を受け、登山ができなくなったという。荒井さんはお母さんのために仕事を辞め、地元に戻ってきたのだという。認知症を患ったお母さんに、荒井さんは当初苛立ったこともあったが、お互いに気持ちよく過ごせればと考えるようになったという。今日は介護の合間を縫っての登山となった。登山の道中、荒井さんはかつてお母さんと眺めた景色に足を止めた。家に帰ったら、お母さんに今日のことを話すという荒井さん、お母さんの記憶とつながったら嬉しいと話してくれた。
別の登山道には松本市立並柳小学校の5年生。松本市の小学校では美ヶ原高原への登山を恒例にしているという。子供たちは岩などを乗り越え、一歩一歩台上を目指していく。台上に到着した中川アナ、目の前には穂高連峰など北アルプスの大パノラマが広がる。台上には600ヘクタールの草原が広がり、牛の放牧も行われている。これは100年以上続く美ヶ原高原の営みだという。
台上にある96年の歴史を持つ山小屋。3代目の高橋健さんは登山者のために山菜の天ぷらを揚げる。美ヶ原高原の恵みを味わってほしいのだという。高橋さんは岩手県出身、山小屋には夏休みアルバイトで訪れ、就職活動が思うようにならなかったことから山小屋で働くようになったという。先代の山本さん夫婦は高橋さんを受け入れてくれ家族のように過ごし、14年前に山小屋を引き継いだという。山本さん夫妻を両親のように思っていたという高橋さん、登山客が安心して過ごせるように心がけろと言われたという。定期的に霧に覆われる美ヶ原、先代は鐘を鳴らし山小屋の方向を伝えたという。「1日として同じことがない」と山の環境を語る高橋さん、だからこそあり続けなくてはいけないのだと語ってくれた。台上を目指していた並柳小学校の子供たちが無事に到着、山頂からは自分たちの街がずいぶんと小さく見える。美ヶ原高原は晴れの日も雨の日もあり続ける。
別の登山道には松本市立並柳小学校の5年生。松本市の小学校では美ヶ原高原への登山を恒例にしているという。子供たちは岩などを乗り越え、一歩一歩台上を目指していく。台上に到着した中川アナ、目の前には穂高連峰など北アルプスの大パノラマが広がる。台上には600ヘクタールの草原が広がり、牛の放牧も行われている。これは100年以上続く美ヶ原高原の営みだという。
台上にある96年の歴史を持つ山小屋。3代目の高橋健さんは登山者のために山菜の天ぷらを揚げる。美ヶ原高原の恵みを味わってほしいのだという。高橋さんは岩手県出身、山小屋には夏休みアルバイトで訪れ、就職活動が思うようにならなかったことから山小屋で働くようになったという。先代の山本さん夫婦は高橋さんを受け入れてくれ家族のように過ごし、14年前に山小屋を引き継いだという。山本さん夫妻を両親のように思っていたという高橋さん、登山客が安心して過ごせるように心がけろと言われたという。定期的に霧に覆われる美ヶ原、先代は鐘を鳴らし山小屋の方向を伝えたという。「1日として同じことがない」と山の環境を語る高橋さん、だからこそあり続けなくてはいけないのだと語ってくれた。台上を目指していた並柳小学校の子供たちが無事に到着、山頂からは自分たちの街がずいぶんと小さく見える。美ヶ原高原は晴れの日も雨の日もあり続ける。
住所: 長野県小県郡長和町和田5101-1