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「能登町定住促進協議会」 のテレビ露出情報

能登半島地震からあすで7か月。中学生の息子を亡くした石川県能登町の男性。みずからも大けがをしていったんは避難したが、ことし5月に家族とともに町に戻った。大切な存在を失った厳しい現実と向き合う毎日だが、町の復興を支えたいという決意を新たにしている。森進之介さんは能登町への移住や定住を支援する団体で働いている。9年前、能登の豊かな自然と人々に引かれて金沢から移住したが、元日の地震で町の姿は一変した。家族6人で暮らしていた自宅も全壊。5人は助かったが、中学1年生の次男・銀治郎君が亡くなった。いつも家族や友達に囲まれていた銀治郎君は能登での暮らしを心から楽しんでいた。自宅があった場所に訪れるのは今もためらいがある。地震で大けがを負った森さんは金沢の病院に搬送され、家族も金沢の森さんの実家に避難した。病院での治療は順調に進んだが、銀治郎君が亡くなったという現実を受け入れることはできなかった。喪失感をまぎらわそうと被災地へ送る物資を調達して、人づてに送る活動に没頭した。退院した森さんは現場で復興を支えていくため町に戻ることを決めた。自宅で被災したとき、地元の人たちが危険を顧みずに救助しようとしてくれたことも決断を後押しした。しかし思い出の詰まった能登町に戻ると、銀治郎君がいないという現実を突きつけられた。それでも森さんは町ににぎわいを取り戻そうと仕事に打ち込んでいる。ただ、悲しんでいるだけの姿を銀治郎君に見せたくないから。この日は復興支援のために県外から訪れている支援者たちとの打ち合わせに参加した。地域に根ざした支援になるように自分が地元の人たちとの橋渡し役になろうとしている。能登の人たちがこれからも誇りを持って暮らせるように町の復興を支えていく。銀治郎君にその姿を見せたいという思いが森さんを突き動かしている。被災地では壊れた建物の公費による解体が今月22日の時点で申請の5%程度しか終わっていない。多くの人たちが住まいを再建し、本格的な復興が実現するには相当な時間がかかる。一方で、先の見通せない被災者を励まそうとさまざまな人たちが被災地に入っている。森さんは今、支援に入る人たちに地元の人たちを紹介して結び付ける取り組みを進めている。こうした取り組みによって地域に少しずつにぎわいを生み出し、移住や定住につながってほしいと話していた。

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