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「自由ヶ丘(東京)」 のテレビ露出情報

トモエ学園が疎開した場所は小林のふるさと群馬。山を開拓して食糧を確保し即席の教室で授業を行った。また電車の教室で一緒に学ぶ日を夢みていた。しかし昭和20年、アメリカ軍の爆撃機が東京南西部を襲い4月15日、トモヱ学園は直撃を受けた。群馬から戻っていた小林は学校が燃える姿を目撃した。当時17歳だった小林の娘・みさをは父の「今度はどんな学校を建てようか」という言葉に驚いた。学校の再開はかなわなかった。戦後の混乱、再開資金などあるはずもなかった。残っていた子どもは転校することになり開校から9年、トモヱ学園小学校は幕を閉じた。戦後の小林は教育者を育てることに力を注いだ。幼稚園や大学で自らが実践した教育の種をまき続けた。そして昭和38年、その教育が注目を浴びることなく小林は亡くなった。
15年後、アメリカ・イリノイ州。物理学の偉業となる新粒子発見のニュースが駆け巡った。研究者の名は「タイジヤマノウチ」。かつて発育不良と言われてトモエで学んだ山内だった。内気だった少年は日本を飛び越え世界的な物理学者になった。体の成長が止まる病気だった高橋彰。電気機器メーカーに就職、調査役として公平な人柄で愛された。小さな体が悩みだった。しかしトモエの運動会では高橋が有利になる競技がそれとなく組み込まれていた。それが自信をくれたと黒柳に語った。フランス人を祖父に持つ桂は差別を乗り越えた。胸を張って女学校に進み2児の母となった。子育てはいいところを褒めるトモエ流だった。桂が心の支えにしていたのはトモエでの創作ダンスの思い出。桂は魚になりきった。その踊りを見た小林が「本当に上手だなあ」と褒めてくれた。桂は今年4月、92歳で亡くなった。最期までその思い出を大事に語った。「教育は20年先を見て行うものだ」、その言葉どおり教え子たちは自分の花を咲かせていった。今トモエ学園の跡地には卒業生による記念碑が建てられている。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年7月6日放送 19:30 - 20:15 NHK総合
新プロジェクトX〜挑戦者たち〜トットちゃんの学校 戦時下に貫いた教育の夢
トモエ学園が疎開した場所は小林のふるさと群馬。山を開拓して食糧を確保し即席の教室で授業を行った。また電車の教室で一緒に学ぶ日を夢みていた。しかし昭和20年、アメリカ軍の爆撃機が東京南西部を襲い4月15日、トモヱ学園は直撃を受けた。群馬から戻っていた小林は学校が燃える姿を目撃した。当時17歳だった小林の娘・みさをは父の「今度はどんな学校を建てようか」という言葉[…続きを読む]

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