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「花鳥風月」 のテレビ露出情報

狩野英孝が紹介するのは「青春!女子のプリクラ史」。女子と共に進化してきたプリクラの歴史を紹介。まずは創世紀。プリクラの誕生は1995年、池袋西武百貨店ゲームセンターに設置された。たった1年で約3万5000台が全国に広まった。画期的だったのが、撮った写真がその場でシールになること、16枚に分割できて友達と思い出を共有できること。さらにフレーム。初期のフレームは24種類だったが、その後は芸能人フレームや地域限定フレームなどができていった。そして、プリ帳が誕生する。無印良品の写真ファイルで作るのが定番で、表紙がシンプルなので自分の好きなデザインにすることができた。プリ帳にプリクラが多いと友達が多いという証明になることからプリ帳の厚さで女子の地位がきまった。元ヤマンバギャルのあぢゃはプリ帳は知らない人と出会える場だったという。女子の間でプリクラは1番のコミュニケーションツールとなった。
1998年、安室奈美恵の結婚でギャルブームが頂点を極めていた。プリクラが女子を興奮させる2つの新機能を誕生させた。1つ目は全身撮影機能。校則で禁止のルーズソックスをプリクラ撮影時のみ着用する女子がいた。2つ目は落書き機能。いつどこで撮ったプリクラか記録できたが、当時はペンの精度は低かった。
ゲストの眞鍋かをりの創世紀のプリクラを紹介。ご当地フレームなどで撮影していた。プリクラ創世紀の眞鍋かをりが知る禁断の裏技がある。プリクラ機の電源を抜いて、再度さすと写真がちょっとセピア色になるというのがあったという。狩野英孝は当時、ポケベルでベル友を探して、プリクラを送り合うということをしていたという。バカリズムは若手のとき、出待ちの子からプリクラを撮ってくださいと言われて一緒に撮っていたという。
1999年、ラブボートの手鏡、デコ携帯、アルバローザ・ミジェーンの袋などが流行ったころ、浜崎あゆみが登場し、黒ギャルが白ギャルに方向転換し美白が大ブームになった。プリクラは美白機能を搭載した。2003年、読者モデルが登場した頃に現れたのが、益若つばさ。メイクやファッションを真似る女子が急増した。流行したのが目元を強調した目ヂカラメイク。プリクラは目力アップ機能が搭載された花鳥風月が登場。落書き機能も一気に進化していった。
ゲストの鈴木奈々はプリクラ機の幕の仕事をしていたことがありギャラがよかったという。鈴木奈々の色白期・目ヂカラ期のプリクラを紹介した。白くなり過ぎて鼻が飛んでしまっていた。鈴木奈々は当時はパラパラ好きのギャル男と付き合っていた。永島優美の目ヂカラプリクラも紹介した。

他にもこんな番組で紹介されています…

2023年11月16日放送 21:00 - 21:54 フジテレビ
私のバカせまい史(私のバカせまい史)
狩野英孝が紹介するのは「青春!女子のプリクラ史」。女子と共に進化してきたプリクラの歴史を紹介。まずは創世紀。プリクラの誕生は1995年、池袋西武百貨店ゲームセンターに設置された。たった1年で約3万5000台が全国に広まった。画期的だったのが、撮った写真がその場でシールになること、16枚に分割できて友達と思い出を共有できること。さらにフレーム。初期のフレームは[…続きを読む]

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