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「藤井宏之さん」 のテレビ露出情報

80年前、日本の敗戦が決まった直後、旧満州で起きた悲劇を描いたドキュメンタリー映画「黒川の女たち」があすから公開される。1931年の満州事変の翌年、日本政府は傀儡国家・満州国を建国。政府は国策として農業移民を推し進め、村や学校も満州への入植を推奨した。日本各地から900余りの開拓団約27万人が入植。岐阜県白川町(旧黒川村)の開拓団も600人余りが満州へと渡った。元黒川開拓団員・安江菊美さんは「貧乏人は満州に行け。次男坊三男坊は満州に行けと半強制的に送り出された」と話した。1945年8月9日、日本の敗戦が濃厚となる中、ソ連は日ソ中立条約を破棄し満州に攻め込んだ。ソ連兵による略奪、暴行が横行し、それまで支配してきた中国人からも襲撃されることになる。安江さんは「終戦から2日目には隣の開拓団が集団自決をした。満州人に襲われて死ぬより仕方がなかった」と話した。黒川開拓団は自決ではなく生きて日本へ帰ることを決意し、ソ連軍の将校に助けを求めた。ソ連兵は「女性を出せ」という条件を突きつけてきた。18歳以上の未婚の女性15人が差し出された。「接待」は2か月余り続き、淋病や梅毒で内臓を冒され、4人の女性が亡くなった。終戦から1年後、黒川開拓団451人が帰国したが、女性たちを待ち受けていたのは差別や誹謗中傷だった。佐藤ハルエさんは故郷を追われ、未開の地へ移り住み、貧しい生活を送った。黒川開拓団の女性たちに起きた事実は封印されることになり、女性たちは長くその事実に苦しめられてきた。
1982年、元団員から寄付を募り「乙女の碑」が建立された。そこに説明文はなく、満州国で 亡くなった女性たちの碑程度にとどめられていた。戦後70年近く経った2013年、女性たちは沈黙を破り自ら声を上げた。なかったことにされた性暴力の史実を表に出した。遺族会会長の藤井宏之さんもその事実を知らなかった。黒川開拓団遺族会・藤井宏之会長は「実はあなたのお父さんが呼び出し役割で、あなたのお父さんが来ると怖かったという話を聞いて、そうした言葉が出てきたということに対して会長としての責任というか、次の世代の者に言葉として書いたものを残さないといけないと思った」と話した。藤井さんは「乙女の碑」に説明文を作ることを遺族会に提案した。藤井さんは犠牲になった女性たちの思いを後世に残すべく尽力した。2018年11月、乙女の碑の碑文が作られた。終戦から長い時間が経ち、あえて彼女たちが声を上げた意味とは。元黒川開拓団員・佐藤ハルエさんは「そういう歴史があったということを伝えていかなきゃならんでしょう。明治であろうが大正であろうが、そういうことを伝えていくのが生きている者の大きな使命じゃないですか」と話した。

他にもこんな番組で紹介されています…

2025年7月11日放送 10:25 - 13:00 テレビ朝日
大下容子ワイド!スクランブルピックアップNEWS
映画にあった乙女の碑の碑文には女性たちが「接待」を強いられた話だけでなく、満州への入植は現地の人たちの家屋や農地を収奪した側面があったことも記されている。黒川開拓団遺族会会長・藤井宏之氏は「歴史はその前後の背景も知っておかなければならない。なぜ黒川開拓団のような悲劇が起きてきたかを考えると、どうしても書かなければいけなかった。被害の面ばかりを伝えることが多い[…続きを読む]

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