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「西田秀子氏」 のテレビ露出情報

終戦からきょうで79年。日本武道館では全国戦没者追悼式が行われ、正午に1分間の黙祷が捧げられた。太平洋戦争のさなか陸軍に所属し防空作戦を担った女性たちがいる。女子防空通信隊として働いた森田柾子さんに話を聞いた。1942年、旧日本陸軍に結成された女子防空通信隊。任務は日本に向かってくる敵機の情報を迅速かつ正確に伝えることだった。各地から電話で受けた敵の機種、数などを機械に入力すると地図版に示されこれをもとに将校たちが戦闘機の発進や空襲警報の発令を判断していた。女子通信隊で働いたのは16歳から25歳までの独身者。東京、大阪、名古屋などおよそ2500人の女性が24時間体制で働いた。父親から女子通信隊について聞いたことをきっかけに入隊を決めた森田さん。国のために男性と対等に働きたい。その思いが当時まだ16歳だった森田さんを動かした。
森田さんが所属した東部軍司令部の女子通信隊が任務に当たっていたのは東京・竹橋。その過酷さが伝わる別の隊員の音声記録には「地下にコンクリートでできた建物で外とは切り離され、空襲の爆音は聞こえなかった」などの声が残されている。大阪城の一角にも中部軍司令部防空作戦室跡がある。宿舎は空襲で焼失し、その場は今広場になっている。過酷な勤務で体調を崩す人や通勤途中に空襲で亡くなる人もいたという女子防空通信隊。東京でも空襲が次第に激しくなり森田さんが特に記憶に残っているというのが1945年3月10日の東京大空襲。その日は夜勤明けだったという。森田さんも空襲で兄を亡くした。女性たちも戦った79年前の記憶。

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