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「角谷哲司さん」 のテレビ露出情報

レジャバ大使は生物学を専攻していた父の広島大学への留学を機に1992年の4歳の時に広島に移住し、8歳まで過ごした。産婦人科の角谷哲司さんとはレジャバ大使の祖父とは国際的な学会で出会い、祖父はレジャバ大使の父の留学を角谷哲司さんに頼んだという。当時日本とジョージアは国交がなかったが、角谷さんの尽力により広島大学に留学することができ、レジャバ大使にはランドセルを両親に代わりに買ってあげたという。2015年、レジャバさんがジョージアに帰国する直前に角谷さん宅を訪れると1945年8月6日の広島の原爆投下の日のことを話した。角谷さんは当時学徒動員で爆心地近くの工場で作業するはずだったが、自宅学習になり被爆を免れた。教職員と生徒約370人が亡くなり、街の様子は今も脳裏から離れないと語ったという。この話を聞いた大使は広島に来た運命的なものを感じたという。2008年8月、自身の大学の夏休みでジョージアに帰国していた大使はロシアが軍事侵攻してきた南オセチア紛争を目の当たりにしており、街を横切る戦車を見て日常が簡単に壊される恐怖と平和の大切さを痛感したという。
大使は3月から現在47都道府県にそれぞれ別のワインを届ける活動をしており、現在10の自治体に行った。ジョージアはワインが約500種類あるという。ジョージアは国家ワイン庁を作るほどワインに力を入れており、観光でも力を入れている。レジャバ大使は外交の力について「外交は自分たちの遺伝にあり、その心は発展的妥協と多様性を受け入れるところに出ている」とし「発展的妥協は妥協のように見えても共に生きていくことが将来の発展、自分の利益に繋がる」と話した。

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