1992年の夏の甲子園。社会問題にまで発展した松井秀喜への5打席連続敬遠があった。淡々とする松井の姿に長嶋茂雄は目を奪われた。その2か月後、長嶋は運命に導かれるように巨人の監督に復帰。自らの手で松井を引き当てた。長嶋は松井を自らの後継者にしたいと考えていた。松井を3年で4番バッターに育て上げる一千日構想を打ち立てる。徹底したマンツーマン指導。長嶋の自宅の地下室でもマンツーマン指導が行われていた。長嶋の一千日構想のとおり、3年後、松井は初めて4番を務める。打率.314、本塁打38、打点99の大躍進をした。年俸も1億円を超え、若くして中心選手となった松井に、長嶋はその後の野球人生を左右する言葉をかける。「巨人の中心選手は休んじゃだめ。お客さんがその選手を見に来る。どんな時も休んじゃだめ」。