- 出演者
- 桑子真帆
オープニング映像。
- キーワード
- 読売巨人軍
1992年の夏の甲子園。社会問題にまで発展した松井秀喜への5打席連続敬遠があった。淡々とする松井の姿に長嶋茂雄は目を奪われた。その2か月後、長嶋は運命に導かれるように巨人の監督に復帰。自らの手で松井を引き当てた。長嶋は松井を自らの後継者にしたいと考えていた。松井を3年で4番バッターに育て上げる一千日構想を打ち立てる。徹底したマンツーマン指導。長嶋の自宅の地下室でもマンツーマン指導が行われていた。長嶋の一千日構想のとおり、3年後、松井は初めて4番を務める。打率.314、本塁打38、打点99の大躍進をした。年俸も1億円を超え、若くして中心選手となった松井に、長嶋はその後の野球人生を左右する言葉をかける。「巨人の中心選手は休んじゃだめ。お客さんがその選手を見に来る。どんな時も休んじゃだめ」。
運命のドラフト会議から10年後となる2002年。松井秀喜はメジャーリーグ挑戦を表明。会見前日、松井は長嶋茂雄に決断を伝えていた。ヤンキー・スタジアムでのデビュー戦、松井は満塁ホームランを放った。挑戦4年目、松井は左手首を骨折。巨人入団1年目の途中から13年間続けた連続試合出場は1768で途切れた。そんな時、松井の元に一本の国際電話がかかる。その2年前に脳梗塞に倒れ、懸命のリハビリに励む恩師・長嶋からだった。「リハビリをしっかりやれば大丈夫だ。復活のときを信じて頑張りなさい」などと声をかけられたという。そして、2009年のワールドシリーズ。松井は、3本塁打・8打点を挙げ、日本選手初のMVPを獲得した。
2015年に行われたインタビューの最後、長嶋茂雄は未来に託すメッセージを語っている。「高校野球、六大学野球。社会人野球といろいろあるが、最終的にはプロ野球が良い野球をやらないといけない」。