2025年11月、伸一は工房で黙々と作業していた。伸一は震災後には津波で流された木材を使用してストラップを作っており、津波で流されてしまい瓦礫となった木材たちはかつては何かであったため、再び木として生きてほしいと自分たちに重ねて思っているなどと語った。2011年3月11日、伸一は大震災の揺れのあと、子どもたちを自宅にいた母に託して連絡のつかない親戚のもとへ向かい、子どもたちは津波の犠牲となってしまった。伸一は一時は子どもたちの後を追うことも考えたが、共に避難生活を送り励ましあった仲間たちの存在が伸一を踏み留めさせた。伸一は震災後に自宅跡地に木製の遊具を作り、幸せだった場に子どもたちの元気な声が響くようにと願いを込め、その側には伸一の子どもたちに見立てた3体の地蔵が見守っている。伸一は自宅跡地にはコンテナハウスも建設し、震災の教訓を教え伝えるために語り部を務めてボランティア活動を行っている。東日本大震災で3000人以上が犠牲となった石巻市、伸一たちが暮らした地域では519人もの人が犠牲となった。2024年10月9日、娘・花の誕生日となり伸一は娘の好物であったケーキを買って帰り、いまでも当時の娘の姿のままを夢に見るのだと明かした。石巻市内の小学校で卒業制作のベンチ作りを指導している伸一は震災を打ち消すようにボランティア活動に打ち込んできていた。そんな伸一に複雑な思いを抱いている妻・綾子は伸一に対して、恨みのような感情があるなどと告げた。
