真奈美が楽しみにしていたのは9月に行われる角館の祭り。町内中を巡る山車は精肉店を営んでいた家の目の前を毎年通った。山車の上で披露されるのは手踊り。山車の上での手踊りにあこがれていた真奈美は同級生に連れて行ってもらったという。高校卒業後、真奈美は20歳で結婚し子どもを生むがその後離婚。女手一つで子どもを育てるため、民謡歌手の後ろで踊るアルバイトを始めた。さらに、民謡の練習にも励み、ステージで歌も披露するようになる。24歳の時に一般参加の歌番組に出演。それをたまたま見ていたのがレコード会社の音楽プロデューサーだった若松宗雄。スカウトされた真奈美だが、子どもを残して秋田を出ることはできないと断った。この時、真奈美の背中を押したのが父・定治。「大切なのは行動することだ」と説いた。そして平成元年、真奈美は藤あや子として売り出し、3年後に「こころ酒」が大ヒット。定治とノリ子はそんな真奈美を応援していたという。紅白歌合戦に出場した真奈美を病室のテレビで見届けた定治はその半年後、76年の生涯を閉じた。