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「鈴木健二アナウンサー」 のテレビ露出情報

1960年代、日本人の生活が急速に近代化した。そのシンボルが「家電」。1976年に放送が開始された「くらしのミニ事典」。「洗濯機の仕組み」という回ではマニュアルを超え、詳細な洗濯機情報を伝えた。「電子レンジの特徴」という回ではアナウンサーが知っておくべき電子レンジの基礎情報を伝えた。くらしのミニ事典が一貫してこだわり続けたテーマが「コード」。数多くのコードを紹介し、コードとプラグの扱い方を伝えた。
続いての家電は「ワープロ」。「お達者くらぶ」ではお年寄りでも簡単に学べるワープロ講座が行われ、5日間連続で特訓した。ワープロ指先体操なども行った。
1970年代後半に普及したのが「家庭用ビデオカメラ」。「明るい農村」でもアマチュアカメラマンのビデオを紹介するコーナーが登場した。ビデオを送った鹿股政雄は地元で有名なアマチュアカメラマンだった。その独特な創作活動をNHKは記録していた。「スタジオL」には突如、赤の他人の結婚式におしかける鹿股政雄が映っていた。
1962年のドキュメント番組「現代の記録」。「BGの周辺」という回ではビジネスガールを紹介した。BGとはビジネスガールの略で当時、女性会社員のことを指していた。BGはアメリカで娼婦の意味があることが分かり、死語となった。
1984年、エリマキトカゲがブームとなった。その人気はとどまることを知らず、様々な商品が作られた。ファッション業界や伝統芸能「文楽」の世界にもエリマキトカゲが登場した。しかし、2年後には人気が衰えてしまった。
1980年代、悪化する財政の再建を目指し、日本各地で進められた行政改革。「おはようジャーナル」では難解なお役所用語について、広瀬久美子アナウンサーが切り込んだ。あえて、お役所用語で卵焼きの作り方を紹介し、分かりにくさを伝えた。
「70年代われらの世界」では時代や場所によって変わる暮らし、人々は違いを乗り越え分かり合えるのかというテーマに挑んだ。NHK社会番組部の鈴木肇はアフリカの村へ行き、言葉が通じない相手と分かり合えるか体を張って確かめた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2024年4月10日放送 11:30 - 11:54 NHK総合
ひるまえほっと(特集)
川平朝清さんは戦後沖縄初のアナウンサーでラジオ・テレビの体制つくりに関わった。川平朝清さんは川平慈英・ジョン・カビラの父親でもある。1927年台湾で生まれ琉球王家の末裔である。17歳の時に終戦を迎え沖縄に戻った。朝平さんは通訳の仕事をしながら将来を模索していた。ある日兄から住民向けラジオ放送局を手伝ってほしいと相談を受けアナウンサーになった。その後は精力的に[…続きを読む]

2024年3月30日放送 5:40 - 5:50 NHK総合
NHK映像ファイル あの人に会いたい(NHK映像ファイル あの人に会いたい)
トヨタ自動車元会長の豊田英二さん。大正2年に現在の名古屋に生まれ、グループ創始者・豊田佐吉の甥に当たる。高校の夏休みには織物工場で実習。昭和8年には東京帝国大学へ。大卒後は豊田自動織機製作所で自動車製作に従事。戦争特需など得て軍用車事業が好調になると、豊田さんの働きかけで乗用車事業がスタート。全社一丸となって効率化を追求。重要視したのは従業員に提案させること[…続きを読む]

2024年1月29日放送 23:00 - 23:30 NHK総合
天然素材NHK(天然素材NHK)
1982年、新年を祝う生中継。全国12か所を繋ぐ大型番組で鈴木さんだらけの初詣や犬ぞりレースなどリレー方式でつないだ。沖縄では海から中継をつなぎダイバーと会話を試みるも音声不調で会話が成り立たず。何事もなかったかのように画面が四国の餅つき現場へリレーされた。

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