秋田県大潟村は国がコメ作りのために干拓し国策で作られた村。しかし国は減反政策に舵を切り、村は減反をめぐり分断された。減反反対派の男性はヤミ米屋と呼ばれ、村長は政策に従った。2人は対立し農政の混乱に巻き込まれた。今年も政府は8月にコメ増産に踏み切ったがその後方針を事実上撤回した。なぜ混乱は続くのか。国策に翻弄された大潟村から紐解く。
秋田県大潟村の涌井徹と宮田正馗は正反対の道を歩み対立する。原因は国の減反政策だった。涌井は減反反対派。大潟村への入植の際にかかった数千万円の借金返済のため、消費者に直接販売するヤミ米を作った。一方の宮田は原点順守派。大 潟村は1952年に大規模干拓を計画。一次入植者56人には広大な田んぼが割り当てられた。しかし1970年に減反政策が開始された。余剰米は食糧管理法により国が買い上げていたため国家予算を圧迫。余ったコメの処理もあり赤字は拡大した。減反政策でコメを作らない農家には補助金が出た。涌井も転作を試みたが畑作は失敗に終わり、範囲を超えてコメの作付けを行ったところ青刈りを強制された。ヤミ米に対する監視が強化される一方、村には減反反対派が増加した。涌井はヤミ米を消費者に直接販売する会社を設立し、店頭で販売する店も出てきた。自由販売の声が強くなるなかヤミ米も自由米と呼ばれるようになった。また、1993年には平成のコメ騒動が発生しタイなどから緊急輸入。1995年に食糧管理法が廃止され直接販売が容認された。2009年には飼料用米なども補助金が支給され、涌井は減反に協力することにした。そして2013年に減反廃止の方針が決定した。
秋田県大潟村の涌井徹と宮田正馗は正反対の道を歩み対立する。原因は国の減反政策だった。涌井は減反反対派。大潟村への入植の際にかかった数千万円の借金返済のため、消費者に直接販売するヤミ米を作った。一方の宮田は原点順守派。大 潟村は1952年に大規模干拓を計画。一次入植者56人には広大な田んぼが割り当てられた。しかし1970年に減反政策が開始された。余剰米は食糧管理法により国が買い上げていたため国家予算を圧迫。余ったコメの処理もあり赤字は拡大した。減反政策でコメを作らない農家には補助金が出た。涌井も転作を試みたが畑作は失敗に終わり、範囲を超えてコメの作付けを行ったところ青刈りを強制された。ヤミ米に対する監視が強化される一方、村には減反反対派が増加した。涌井はヤミ米を消費者に直接販売する会社を設立し、店頭で販売する店も出てきた。自由販売の声が強くなるなかヤミ米も自由米と呼ばれるようになった。また、1993年には平成のコメ騒動が発生しタイなどから緊急輸入。1995年に食糧管理法が廃止され直接販売が容認された。2009年には飼料用米なども補助金が支給され、涌井は減反に協力することにした。そして2013年に減反廃止の方針が決定した。
