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「長崎ぶらぶら節」 のテレビ露出情報

作詞家のなかにし礼さんを紹介。恋する女性の心情を大胆な言葉で表現し昭和歌謡の黄金時代を築いた。時代が平成に移ると小説に転じ、「長崎ぶらぶら節」で直木賞を受賞した。なかにしさんは昭和13年、旧満州・現在の中国東北部生まれ。しかし昭和20年ソ連が旧満州へ進行、父親を亡くし終戦後命からがら日本へ引き上げた。北海道・小樽にある父親の実家に身を寄せた一家の元に、特攻隊に志願して出征した兄が復員してくる。兄がニシン漁に手を出し失敗、借金の方に家を取られ一家はバラバラに。中学生の時に母が倒れ兄を頼って上京、貧しい暮らしが続いた。19歳の時、シャンソン喫茶を知りシャンソン歌手の石井昌子にラブレターを出した所、あなたの手紙は詩的センスがある。私のシャンソンの訳詞をやってみない?という話来たという。辞書を頼りに挑んだ初めての訳詞が評判になり、やがて菅原洋一の曲を依頼された。曲を聴いている内、「あなたの過去など知りなくないの」というフレーズがひらめいたが菅原洋一に「歌いにくい」と言われケンカになったという。
25歳の時、偶然石原裕次郎と出会い作詞家を進められたという。初めて作詞した「涙と雨にぬれて」が評判となり、石原プロ期待の新人・黛ジュンを託される。そして「天使の誘惑」がレコード大賞を受賞した。その後も恋する女性の繊細な気持ちを歌った曲が次々とヒット。しかし再び兄の借金に苦しめられた。しかし兄の「ニシン漁は歌にならないか」という言葉で名曲が生まれることになる。50歳を過ぎて初めて書いた小説は、兄をモデルにした作品「兄弟」。その後も度重なる病と戦いながら創作活動を続けた。多彩な作品を残した82年の生涯だった。

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