梶原さんの勤務先は福岡・南区のローカルスーパーで、福岡と長崎で4店舗を展開する。惣菜部長を務める梶原さんさんは一番乗りで出勤し、開店までに7人のスタッフと手分けして約120品の惣菜を用意していった。食べる人のことを思い浮かべて作られた梶原さんの惣菜は日本最大の惣菜コンクールで4年連続最優秀賞を獲得している。メンチカツに目玉焼き、エビフライ、パスタと主役級を揃えた弁当は10年以上、トップクラスの売上を誇る。サッカーの試合に臨む息子のために作ったといい、ハットトリックを達成した。新商品の開発から発売までに数ヶ月を要するのが一般的だが、梶原さんは思いついたらその場で作り出す。作ったその日に店頭に並べられることもある。物価高のなか、1品1000円を超える惣菜でも飛ぶように売れていく。
梶原さんは新商品のアイデアを思いつくと、スーパー内の鮮魚部に向かって捌いて貰った。SNSに投稿された調理動画を見て、参考にしたりアレンジを加えたりもする。試作品は1年で1000を超え、失敗作は数しれず。仕事を終えると職場で食材を購入し、帰宅の途についた。10時間の立ち仕事を終えたばかりだが、家族のために台所で特製のグラタンを調理。また、2カ月に1度、大阪で働く息子2人とその家族のもとを訪ね、手料理を振る舞った。
梶原さんの両親は共働きで、弟や妹のために台所で腕をふるった。バレーボールで実業団から勧誘されるも、身長が伸び悩んで断念。看護師になるも、血を見ると倒れてしまって退職。4人の子どもに恵まれたが、夫の営む建設会社が倒産。2000万円の借金を残し、夫は姿を消した。昼は保険の営業、夜はスナックと寝る間もなく働く中、梶原さんは作った料理を褒められた。35歳の時、スーパーでパートとして働き始め、賞味期限が近い食材を使って調理してみると、店内で評判となった。惣菜部の正社員として採用されるも、衛生面など勉強すべきことは山積みだった。徐々に信頼を獲得し、部署の垣根をこえて食材を自由に調達できるようになった。福岡のローカルスーパーにすごい惣菜をつくる女性がいると、視察も相次ぐ。54歳の時、惣菜部長に抜擢された。
惣菜コンテストに向け、人気観光地の糸島の食材を使い試作が行われた。10月、五島列島にある店舗に応援として駆けつけ、一息ついていると、表情が冴えなかった。その後、コンテストで梶原さんが考えたランチプレートをはじめ、9品が入選。翌日、五島列島の塩を使ったパンは2時間で完売。明くる日のために準備していたパンを急遽焼き、焼き立てを店頭に並べた。梶原さんは長年の立ち仕事が祟り、6年前に膝を手術した。無理をすると、痛みがはしるという。11月、コンテストのために使ったランチプレートを店の客に食べて貰いたいと、笑顔を見せながら作り続けた。また、顔なじみの男性から子どもがインフルエンザを患ったと聞き、梶原さんは栄養たっぷりの惣菜を手渡した。
梶原さんは新商品のアイデアを思いつくと、スーパー内の鮮魚部に向かって捌いて貰った。SNSに投稿された調理動画を見て、参考にしたりアレンジを加えたりもする。試作品は1年で1000を超え、失敗作は数しれず。仕事を終えると職場で食材を購入し、帰宅の途についた。10時間の立ち仕事を終えたばかりだが、家族のために台所で特製のグラタンを調理。また、2カ月に1度、大阪で働く息子2人とその家族のもとを訪ね、手料理を振る舞った。
梶原さんの両親は共働きで、弟や妹のために台所で腕をふるった。バレーボールで実業団から勧誘されるも、身長が伸び悩んで断念。看護師になるも、血を見ると倒れてしまって退職。4人の子どもに恵まれたが、夫の営む建設会社が倒産。2000万円の借金を残し、夫は姿を消した。昼は保険の営業、夜はスナックと寝る間もなく働く中、梶原さんは作った料理を褒められた。35歳の時、スーパーでパートとして働き始め、賞味期限が近い食材を使って調理してみると、店内で評判となった。惣菜部の正社員として採用されるも、衛生面など勉強すべきことは山積みだった。徐々に信頼を獲得し、部署の垣根をこえて食材を自由に調達できるようになった。福岡のローカルスーパーにすごい惣菜をつくる女性がいると、視察も相次ぐ。54歳の時、惣菜部長に抜擢された。
惣菜コンテストに向け、人気観光地の糸島の食材を使い試作が行われた。10月、五島列島にある店舗に応援として駆けつけ、一息ついていると、表情が冴えなかった。その後、コンテストで梶原さんが考えたランチプレートをはじめ、9品が入選。翌日、五島列島の塩を使ったパンは2時間で完売。明くる日のために準備していたパンを急遽焼き、焼き立てを店頭に並べた。梶原さんは長年の立ち仕事が祟り、6年前に膝を手術した。無理をすると、痛みがはしるという。11月、コンテストのために使ったランチプレートを店の客に食べて貰いたいと、笑顔を見せながら作り続けた。また、顔なじみの男性から子どもがインフルエンザを患ったと聞き、梶原さんは栄養たっぷりの惣菜を手渡した。
