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「長谷川俊輔」 のテレビ露出情報

若林は今回のゲストは元一発屋で一発屋を乗り越えて活躍していると言うと、今昔のような一発屋はいないと答えた。HGはその発言に一発屋が最後に出たのはひょっこりはんで、それらしいのが出てきていないと答えた。またHG最近の傾向として消費が早い世の中だと答え、一発屋になる傾向として奇抜な衣装や変な髪型、カタカナのギャグが当てはまりやすいと答えた。また今回の出演者たちが活躍した年代を振り返った。HGは2005年。小島よしおは2007年。ジョイマンは2008年と答えた。そしてジョイマンに起こった事件では2014年に起きたファンのサイン会を開催したが誰も来なかったサイン会にファン0人事件。高木は町田のビルでサイン会をしてほしいとの依頼があり、整理券もはけているので大丈夫とイベントスタッフが言われたが一時間誰も来ない状態が続いたという。しかし今人気を取り戻したジョイマン。去年と同じ場所でサイン会を開いたがその時は人がごった返す人気に。500人の人が押し寄せたという。
HG、小島よしおも今では人気がありイベントにいけば大盛況に。さらに3組に芸人人生を語ってもらう。HGはブレイク期に起きた出来事については横浜アリーナで2万人の前でプロレスデビューなど。HGはその流れでアメリカでアメリカの囚人に顔をさされたというがその頃はアメリカで日本のプロレスが流行しており、日本のプロレスを見ていた囚人が多くいたという。その時はロケで一緒に囚人たちと食堂で一緒にご飯を食べることになったが、HGが食べている様子に何人かがざわつき大騒ぎになったという。すると刑務官がやってきてサイン会をすると言い出し突如サイン会がスタートしたと答えた。さらに2005年には大晦日の仕事の移動がヘリ移動だったという。その時は埼玉から三重県、東京に移動しなければならず東京に移動する際にヘリ移動をし深夜のお正月の生放送に出たという。HGはあまりの忙しさにその時の記憶が途切れ途切れだと答え、誰と会ったのか覚えていないという。平成の時代はまだ深夜の収録もあり、小島は売れっ子を集めた収録が深夜から朝まで行われ、皆疲弊していたと答えた。また芸風から様々な大物にも果敢に絡んでいったが時に怒られたこともあるというHG。その中に細木数子がいて、地獄に堕ちなさいと言われ、占いもしてもらえなかったという。
小島はブレイク中に和田アキ子を怒らせてしまったという。特番で初対面となったが、オープニングでわちゃわちゃする際に旬な人が前に出される傾向にあり、自分が前に出されたという。和田アキ子に挨拶すらしていないのに目の前でお調子者のように振る舞ったら和田が怪訝な顔をしたので、それ以来しっかり挨拶はしていると答えた。春日も和田を怒らせた過去があり、ロケ先に自分たちがいて和田とそこで初対面になるので事前の挨拶が出来ない状態だったという。その時はネタを行ったが和田にそのダメ出しをもらうという流れだったという。春日はその頃テレビに出たてで、和田のダメ出しにキャラを突き通していたが和田に態度が悪いと怒られたという。その怒りにバラエティだからキレたのかと思ったがスタッフが皆下を向いていたのでマジなやつだと思いすぐ態度を改めたという。次に小島よしおのブレイク期を紹介。旭川冬まつり8万人のファンが押し寄せた。その頃について小島は氷上の上でネタをし、見渡す限り視界に人がたくさんいたと答えた。また郵政民営化した時の切手が阪神優勝、ドラえもん、小島よしおだったという。さらに着ボイスでも1位から5位まで自分のネタが独占したと答えた。またイタリアやエジプトなどでもバズったというが、まだYou Tubeが初期の頃に週間の世界再生ランキングで5位になったと言う。世界のインフルエンサーがこぞって自分のネタを真似した動画が流行していたと答えた。
ジョイマンのブレイク期を紹介。エミネムとコラボした経験があると言うが、エミネムがアメリカでアルバムを出すので日本で宣伝をするために、ラッパーという共通点から宣伝隊長になり、エミネムとジョイマンの写真が入ったトラックが走り回っていたという。また祭りの営業では1000人が集まりネタをする前から5分ほど歓声が止まらなかったという。またクラブでプライベートで行った際にフロアで踊ることになり、踊っていた所フロアの人たちが真似して300人ほどが自分のマネをしていたという。そこで盛り上がっていた所帰る際にたまたまその現場にいたTRFのSAMに連絡先を聞かれたが、その後の発展はないという。しかしそのブレイク期がおわり人気が低迷していった3組。その兆しを感じた瞬間を語ってもらう。小島はその低迷したと感じた瞬間にはネタをすると拍手に変わったという。ライブエンディングの際でもたくさんの芸人が出ている中で、人気があった頃はその視線が自分に集まっていたが、その視線がどんどん次のブレイク芸人に注がれるなどしたという。HGは自分にはネタがなかったが、漫談でもすればブレイクの頃は笑いが取れていたが、出オチで「フォー!」で笑いが取れないとその後の漫談はつらいと答えた。さらにウケなくなってくるとギャグを披露する手もだんだんと下がっていくのが今見てよく分かると答えた。
また一発屋には絆があるというが、HGと高木は同じく手を広げるネタやギャグをするが、高木は一時期それができなくなりイップスになったという。しかしHGに同じ経験をしたという話を聞いて、再び手を広げることができるようになったという。小島はギャグをやりすぎた弊害に骨盤がズレたという。HGは腰を振りすぎて腰を痛めたと答えた。それで怪我をしたが、その中で編み出したゆっくり腰を降っているようにみえるが実は高速に振っているから逆にゆっくりに見えるというギャグを編みだしたという。そしてHGの低迷期を紹介。HGを「ホットガイ」に改名していた時期があるというが、特番収録でギャグをするが、いつものように名前を叫んでいたらスタッフにその名前は言うのはなしと言われホットガイに変更したという。その時は時代が変化し、キャラも終わってしまった瞬間だったという。HGは「ハードゲイ」としていたが、そもそも自分はそうでもないのもあり「ホットガイ」に変更したという。また相方がその頃レイザーラモンRGと名乗っていたがその頃は「リアルゲイ」としていたという。それをそのことで「リアルガイ」に変更していたと答えた。また今では代名詞の腰を振る動作についてもTikTokやSNSでダンスの1つで腰を振ると削除される場合があるという。性的なコミュニティガイドラインなどに引っかかってしまいHGの動画は次々に消されてしまったという。そのことでAIと戦い動画を投稿できるギリギリのラインを狙っていると答えた。
小島は海パンから服を着るようになったが、ヘキサゴンのときに紳助に服を着ていいと言われてからだという。番組と事前に打ち合わせて海パンか服かを決めるものの、今回は服を発注してしまい着なければいけない状態になったと答えた。高木はラッパーキャラが出来上がったきっかけにイメージは平井堅をイメージしたがその頃はラップではなく変な歌としてやっていたが、テレビで脱力系ラッパーと言われてからラッパーの要素が出来上がったという。また一発屋芸人が集まる会があるというが、その審査についてはブレイクしている一発屋傾向にある芸人についてそろそろどうか?と話し合うという。HGはできれば自分から一発屋と認めてから言ってほしいというが、一発屋と言われたくない時期には誰にでもあるという。もがいている時期に一発屋と言われるとムカつくので誘うことはしていないという。またその一発屋の飲み会の様子を紹介した。さらに一発屋があつまるライブイベントもあり、その発起人がムーディー勝山だったという。
人気が低迷し、時に迷走期間があったという一行。ジョイマンは低迷期に行っていたのがデスメタルラップや侍ジョイマンがあり、江戸時代にタイムスリップしたという設定を盛り込んだこともあったという。後付の設定のラップはウケたものの何の経験にはならず、結局元の形に戻ったという。HGは低迷期に行っていたことに色々なキャラに挑戦し、和風のHGや新ギャグを考えたと答えた。そしてその頃に生み出したギャグを披露した。HGはブレイクしたギャグに沿ったギャグを生み出そうと必死だったという。さらに後輩が同じ様にもがいている姿をみた時については足掻けば足掻くほど熟成されると答え、後々のネタにもなると答えた。また小島よしおは後に考えたギャグもブレイクしたという。その時のネタを紹介した。小島は子ども相手にウケが良いというが、生まれてくる子どもには新ネタなので全力でギャグを披露しているという。また、ブレイクしたのが16年前で、当時の小学生が親になり、その子どもと親は笑いのツボが一緒になる傾向になると答えた。春日は長年トゥースを披露しているがその中で自分の機嫌にあわせて全力でやるかどうかを決めていた時期があったと答えた。

他にもこんな番組で紹介されています…

2023年8月1日放送 11:50 - 13:50 フジテレビ
ぽかぽかライオンちゃんと行く!肉食さんぽ
ぽかぽかトーク「早起きしてでもやりたいこと」。中岡は「最近合唱したいと思ってる。合唱グループ作ろうと思ってる」などと話した。

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