三重大学が設立した忍者専門の研究機関「国際忍者研究センター」の副センター長で、三重大学の教授でもある山田雄司氏は農作業の傍ら、戦が勃発すると各地の大名に雇われていたのが忍者と概説した。織田信長の次男、信雄が伊賀の征服を企図し、築城を始めたところ、忍者たちは夜襲を仕掛け、屋敷や楼閣は焼失したと史料に残されている。3年前、忍びの技が記された「間林清陽」が見つかった。三重大学では忍者の研究、忍術の演習が行われていて、川上仁一氏は「間林清陽」に記載されている忍術を再現した。暗闇のなかで戦う術、心構えなどが含まれていた。