- 出演者
- 佐藤二朗 片山千恵子 山田雄司
世界において、NINJAの認知度は98%とされ、配信ドラマ「忍びの家 House of Ninjas」は16の国と地域で1位を記録した。また、国内外で忍者に関する史料が発見されている。
オープニング映像。
南北朝時代、悪党と呼ばれる武装集団が各地に出没した。彼らが忍者のルーツとされる。伊賀忍者、甲賀忍者が有名で、対立関係にあったと思われるが、共闘したり、婚姻関係を結んだりしていたという。
三重大学が設立した忍者専門の研究機関「国際忍者研究センター」の副センター長で、三重大学の教授でもある山田雄司氏は農作業の傍ら、戦が勃発すると各地の大名に雇われていたのが忍者と概説した。織田信長の次男、信雄が伊賀の征服を企図し、築城を始めたところ、忍者たちは夜襲を仕掛け、屋敷や楼閣は焼失したと史料に残されている。3年前、忍びの技が記された「間林清陽」が見つかった。三重大学では忍者の研究、忍術の演習が行われていて、川上仁一氏は「間林清陽」に記載されている忍術を再現した。暗闇のなかで戦う術、心構えなどが含まれていた。
熱したであろう砂利に指先を入れる映像があったが、山田雄司教授によると、指先を強くするトレーニングだという。また、忍者に関する史料には戦闘術の記載があるが、不戦が重視され、発見されてしまったら逃走して生き延びるのが吉とされた。
忍者たちの住まい、館城では周囲を土塁で囲み、堀も巡らせていた。伊賀にはこうした館城の痕跡が650以上もあるという。おなじみの忍者屋敷は館城を再現したもので、襲撃に備え、武器をあちこちに隠したり、敵を欺くなどしていた。また、伊賀を守るため、敵対していた集落同士が手を取り合い、ルールを制定した。
織田信雄による侵攻を阻んだものの、織田信長が伊賀へ大軍を差し向けた。住まいである館城を破却し、寺社仏閣は焼かれてしまった。最終的に数万の人々が殺害されたというが、生存者のなかには周辺の大名に士官する人もいたという。泰平の世となった江戸時代、大きな戦はなく、忍者からすれば活躍の場が減少することを意味した。
江戸時代、忍者たちは和菓子店を営み、お座敷へ和菓子を届けることで家来や女中から情報を集めていた。敵地に潜伏するため、保存食をつくる技法があったが、和菓子づくりに応用。三重から江戸まで運べるほど日持ちしたという。また、甲賀忍者の一族、芥川家は火術を得意としていた。史料をもとに、荒木利芳名誉教授は蒸留によって高純度のアルコールを効率的に精製する手法を再現した。荒木氏は「忍者は科学者であり、技術者」、「常に備えている集団」などと語った。
幕末、西洋から技術が伝来し、忍者は取り入れることで技術などをアップデートしていった。太平洋戦争後、GHQは陸軍参謀本部から書類などを接収したが、今になって貴重な忍術書も発見されている。山田氏は「忍術というものはいろいろに使える。正しく使うか、悪用するか、非常に倫理性というのを求められた」などと語った。危機的な状況でも不動の心を持ち続けるべく、日々の鍛錬が重要だった。なお、女性、お金、酒には注意するよう文献に記されているという。
「歴史探偵」の次回予告。