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「間瀬富弥」 のテレビ露出情報

1950年、旋盤工だった間瀬富弥がコンプレッサーの製造業を始めた。その後、現在の会社の基盤となるブラスト装置の第1号機を自ら設計、研磨剤を自動で循環させて外に巻き散らすことがない装置を開発したのはガラス加工工場の環境を改善するためだった。しかし、設備投資の負担が重く売れなかった。ところが、メッキの下地処理に使えることがわかった。1960年代以降、家電の3種の神器の販売増加で家電メーカーをはじめ様々な業界からブラスト装置の受注が相次いだ。
エアーブラストの役割には金属の強度や耐久性を高める効果を狙った加工もある。ショットピーニングと言われて、航空機や自動車などの大型部品で使われる。一般的なショットピーニングの研磨剤では加工物の細部に影響を及ぼすことがあった。そこで不二製作所は花粉よりも細かい研磨剤を開発、繊細な表面処理を可能にした。ミスミは金型部品のために不二製作所の最先端のブラスト処理を採用した。

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