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「闘魂97」 のテレビ露出情報

1998年にフォッシュマンズがシングルのいかれたBabyをリリース。茂木は代々木公園で撮影したと答え、手作りで作り、タバコを吸うなど自由に作ったと答えた。またこの曲に絶対的な自信があったと答えた。いかれたBabyの当時のヒットの様子について北沢夏音はヒットはしなかったというがファンとメンバー内では良い曲だという認識があったという。茂木はいかれたBabyは大名曲だと思っていて世間がこの曲で湧くだろうと思っていたが実際はそうでもなかったという。しかし時代を超え輝く楽曲だということは自負していたと答えた。川辺はフィッシュマンズの曲を最初に聴いた時期に93年に知り合いからカセットテープを貸してもらい、曲を聞いた際には打ち込みの音楽がなされ他のバンドとは一線を画していると思ったという。その曲から冷たい印象をうけたという。北沢はインターネット以前の時代で街で情報を探し出す必要があり、HMV渋谷店など音楽の専門店にでかけていたという。
フィッシュマンズはその後若いながらも歴史あり 96.3.2@新宿LIQUID ROOmをリリース。茂木は当時の音楽制作にスタジオバージョンができればその場で終わるという感じではなく、ライブでいくらでも作り変えることができたと答えた。家で聴いてもらったりリラックスして聴いてもらうのが目標だったと答えた。いかれたBabyは結婚式で披露された音源も残っているという。フィッシュマンズが1995年にプライベートスタジオを作り、よりバンドの音楽性を深めていく。その後忙しくなり音楽制作がとまっていたと言う。また自分たちのライブではTOKYO NO.1 SOUL SETを迎えたがゲストを迎えたのは初めてだったという。MAGIC LOVEのリミックスを作った川辺は完成している曲をリミックスするに戸惑ったと答えた。その出来にメンバーは喜んでいたと答えた。
フィッシュマンズは1997年にアルバムの宇宙 日本 世田谷をリリース。99年には佐藤伸治
が亡くなった。茂木は佐藤のた音楽葬でいかれたBabyを演奏したというが茂木はその時の心理状況に無我夢中だったと答え、佐藤の両親が息子の作った曲で送り出してほしいと伝えてきたと答え一曲一曲を丁寧演奏し送り出そうとしか思っていなかったという。2005年からフィッシュマンズはライブ活動を再開。ゲストを入れ楽曲を演奏し続けている。茂木は佐藤が亡くなってからその名曲が演奏されないのはおかしいと感じ活動を再開したという。そこで自分たちの曲を聴いていた世代にマッチするボーカルを招待していると答えた。

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