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「大徳寺養徳院」 のテレビ露出情報

京都・酬恩庵一休寺に一休のお墓がある。一休は後小松天皇の皇子だった。一休の母は後小松天皇の寵愛を受けながらも周囲の中傷によって宮廷を追われた。幼い息子を権力争いから遠ざけるために一休を出家させた。足利義満の時代に中心を担ったのが禅だった。一休は幕府公認の権威ある禅寺に預けられる。禅寺での修業を始めた一休は煩悩から逃れることができなかった。それは母への思いと性への葛藤だった。10代後半になると、悟りを求めて各地を彷徨った。そして27歳のとき、カラスの鳴く声を聞いて悟りを開いたという。師匠からまだ80%程度だから駄目だと言われたが、羅漢の禅で結構ですと答えた。悟りきれない自分を否定せず、煩悩を抱えたまま生きる姿を受け入れることだった。
6世紀、日本に伝わった仏教は天皇や貴族が国家の安泰を祈るためのものだった。鎌倉時代になると新しい宗派が次々と生まれ、禅は武士たちの心を掴んでいく。室町時代には仏教の信仰は庶民にも広がっていく。その中で象徴的な場所だったのが大阪・堺。明との貿易で繁栄し、商人たちが町の自治を担い、大きな力を持つようになった。それまで社会の中心でなかった商人などが布教対象として大きく出てくるようになる。一方で堺では、修業の末に師から与えられる悟りの証「印可状」がお布施の見返りとして人々に配られていた。禅の誤った道に進んでいくことが我慢ならない一休は、太刀を携えて人々に禅の教えを説いてまわった。太刀の中身は木刀で、権威を振りかざす禅僧たちを指していた。人を生かすことも殺すこともできない役立たずだと痛烈に批判した。
住所: 京都府京都市北区紫野大徳寺町85

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