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「駒草平」 のテレビ露出情報

蔵王の御釜は約800年前から活動が始まった噴火口とされている。いつから今のような火口湖になったのか、正確な時期は分かっていない。ただ、1702年頃に描かれた仙台藩の領地を示す絵図には御釜が記されていた。御釜に水が溜まったことで蔵王を目指す御山参りの大ブームが起こる。現在は立ち入り禁止になっているが、かつては御釜の水を飲んだり体を清めたりしている人もいたという。
タモリらは刈田岳の山頂にある蔵王刈田嶺神社 奥宮を訪れた。現在の社殿は噴火を考慮して鉄筋コンクリート造りだが、もともとの社殿は江戸時代に建てられた。狛犬の台座には「安政四歳」(=1857年)と記載されていた。寄進したのは、出羽(山形県側)の人と陸奥(宮城県側)の人。御山参りの登山口は4つ。宮城県側の刈田岳山頂にも山形県側の熊野岳山頂にも神社があり、人々はそこを目指した。蔵王には古くからの信仰があり、蔵王の由来はこれらの神社に蔵王大権現を祀ったのが始まりとされている。蔵王大権現は修験道の中心的な御本尊。この蔵王大権現への信仰が、江戸時代の御山参りの大ブームにつながる。
タモリらは宮城県側のルートを車で10分ほど下った先へ。その場所には荒涼とした景色の駒草平があった。かつてこの一帯は、あの世とこの世の境目と三途の川にあるといわれている「賽の河原」と呼ばれていた。つまり、死後の世界の疑似体験をしながら山頂を目指していた。当時の人たちは死後の世界を抜けた先で生まれ変わると信じていたという。これが御山参りの大ブームとなった理由の一つ。また、誰でも山頂を目指せるルートがあったことも理由に挙げられるという。
タモリらは宮城県側の御山参りのスタート地点・蔵王刈田嶺神社 里宮へ。蔵王刈田嶺神社 里宮と奥宮では御神体を行き来させる季節遷座という風習があった。これが麓の町に蔵王信仰、つまり御山参りを広めることにつながっていた。

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