石工の左野勝司はイースター島で倒れていたモアイ像の立て直しや高松塚古墳の石室解体など、国内外の石造りの文化財の保存や修復に尽力した。左野さんは昭和18年、和歌山県生まれで父は石を切り出し細工を施す石工であった。石工の修行を始め、およそ半年間世界の現場を巡り飛び入りで働いたこともあった。その後は奈良市で石材店を創業し、文化財の修復や運搬に携わるようになった。昭和59年には奈良の石舞台古墳で考古学者とともに再現実験に取り組んだ。およそ2300トンもの岩を古代の人はどのように動かしたのかということで修羅という古代の運搬具やロクロを再現し、巨石を人の力で動かしてみせた。しかし窮地に陥ったこともあり、45歳のときに修復を手掛けていた寺で原因不明の火災が発生。現場の責任者だった左野さんは8000万円もの損害を負った。絶望していた時、手を差し伸べてくれたのが僧侶の森本教順さんであった。唐招提寺の修復で知り合い師匠と慕ってきた存在であり、森本さんが差し出したのが自らの貯金通帳だった。借金は自分で返すと決めた左野さんはどんな依頼も断らず、難しい修復にも挑んでいった。左野さんの高い技術が広く知られるようになったのは、高松塚古墳の石室解体であった。飛鳥美人で知られる1300年前の極彩色の壁画がカビなどによって危機に瀕していることが判明し、修復のため国宝の壁画を傷つけずに石室を解体し16子の石を取り出すという前代未聞のプロジェクトを任されていた。問題は石室が凝灰岩という脆い石で作られていることであった。左野さんはクレーン会社と共同で吸盤状のゴムで安全に挟むことのできる器具を開発。凝灰岩で実物大のレプリカを作り、1年間テストを繰り返した。そして平成19年、解体の本番を迎えた。1つ目の石は見事吊り上げに成功したが飛鳥美人が描かれた壁は隣の石との間には全く隙間がなく、準備した器具は使えなかった。左野さんは石を持ち上げ、わずかな隙間に棒を並べて棒の間隔や角度を慎重に測りながら1時間かけて40センチ動かした。そして吊り上げ成功と思われた瞬間、枠に引っかかっていたワイヤーがはずれ飛鳥美人の壁画は大きく揺れた。幸い国宝は無傷で全ての石を無事取り出すことに成功し、文化庁長官の表彰を受けた。さらに佐野さんは海外にも積極的に技術を伝え、手掛けたのはカンボジアの世界遺産・アンコール遺跡群の修復であった。
住所: 奈良県高市郡明日香村平田439
