高野鎮雄はVHS発表から10年後の昭和61年、日本ビクターの副社長に就任した。その後も、横浜工場を訪ねては女子工員1人1人にねぎらいの言葉をかけた。高野はすべての従業員の名前を覚えていた。平成2年6月に副社長を退任、送別会にはVTR事業部全員が駆けつけた。その2年後、がんで亡くなった。平成4年1月21日、高野の棺を乗せた車は横浜工場に立ち寄った。社員全員が見送った。高野の自宅の庭にはプロジェクトが失敗した時に部下1人1人に手渡すつもりだった盆栽が今も遺されている。270鉢の松は妻の手で育てられている。