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「ソノさん」 のテレビ露出情報

戦後80年となる今年、「いまを戦前にさせない」をテーマに様々な特集を伝える。「特攻に出撃する息子と、それを見送った父親」の物語。鹿児島県南九州市に、かつて特攻隊の基地があった。知覧飛行場で撮影された2枚の写真には、出撃直前にも関わらず操縦席で微笑む青年と、帽子を振り見送る青年の父親が映っていた。写真には特攻を巡る親子の悲しい真実が隠されていた。パイロットの弟、黒木民雄さんが語る。知覧の資料館には、特攻で亡くなった兄「国雄」さんの写真が展示されている。当時国雄さんは21歳、特攻隊の隊長だった。部隊に配属される直前、実家に帰省した国雄さん、普段任務について多くを語らなかったが、駅で別れるときに汽車に飛び乗ったあと家族が見えなくなるまで敬礼していたという。その姿が家族が見た最後の姿だった。半年後、特攻の出撃命令が下る。家族にあてた遺書には、弟・民雄さんに向け「喜べ、兄は隊長として大君の見立てと散る」と記されていた。両親には「日本一の多幸者でした」と感謝の言葉を綴った国雄さん。整備員に出撃を見届けたら、遺書を投かんするように頼み1945年5月6日、沖縄に向け出撃した。3日後、遺書が父のもとに届く。父・肇さんは最後の様子が知りたくなり知覧に向かったが、そこで思わぬ再会が。
戦後80年となる今年、「いまを戦前にさせない」をテーマに様々な特集を伝える。「特攻に出撃する息子と、それを見送った父親」の物語。息子からの遺書を受け取った父・肇さんが最後の様子を知るため知覧に向かうと、そこには亡くなったはずの息子の姿があった。国雄さんは、エンジントラブルで知覧に戻っていたという。2人は再会を喜んだが、国雄さんは翌日再出撃することが決まっていた。周囲の勧めで最後の夜を過ごすことになった2人。父に会い嬉しそうな国雄さんだったが、母のことを気にかけていたという。出撃の朝、国雄さんは父に確かめるように「国雄の晴れ姿を見てうれしいじゃろ」と言い、肇さんが「嬉しい」と答えると戦闘機に乗り込んだ。その時撮影されたのが、戦闘機の上で満足気に微笑む写真だった。見送る肇さんは「敵の飛行機に落とされませんように」「無事、敵艦に激突してくれますように」とつぶやいていたという。当時の父の気持ちについて、民雄さんは「割り切らないとしょうがなかった、お国のためにささげた命だから「目的を果たしてくれ」ということが精いっぱいだったと思う」と話した。出撃後、戻ってくることのなかった国雄さん。肇さんは「息子が空母に突っ込んだ」と信じ、日本の勝利を確信していたが、出撃からわずか3か月後に日本は降伏。軍人やその家族に対する評価も一気に変わり、「戦争協力者である」という雰囲気がおこり、国雄さんを揶揄する人もいたという。ふさぎ込んだ肇さんは、終戦から11年後60歳で亡くなった。民雄さんは最後に「二度と戦争なんかするもんじゃない、あの時代が異常だった」と話した。

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