- 出演者
- 矢島学 浦野モモ
オープニング映像。
連休最終日、Uターンラッシュ続く。中央道・八王子IC付近の現在の様子を中継。日本道路交通情報センターによると、高速道路の上りでは午後5時時点で東名高速の大和TN付近を先頭に約13km、関越道の嵐山小川IC付近を先頭に約7kmの渋滞が発生。成田空港によると、きょうが帰国のピークで約5万人が帰国の見込み。
きょう午前5時すぎ東京・豊洲市場で初競りが行われ、最高値の一番マグロとして青森県大間産のクロマグロが2億700万円で競り落とされた。去年の1億1424万円を大きく上回り、過去2番目の高値をつけた。一番マグロを5年連続で競り落としたのは、寿司店などを経営する「ONODERA GROUP」から依頼を受けた仲卸業者「やま幸」山口社長によると、決め手は今回たくさんマグロがあったわりには、どれが一番になるのかわかりやすかった。鮮度感がずば抜けていたと話した。競りから約8時間後競り落とした寿司店では、さっそく一番マグロの解体ショーが行われ2貫で1160円で提供された。また初競りでは、北海道函館産のムラサキウニが過去最高値の4倍以上となる700万円で競り落とされた。高値になった背景には、ウニの価格高騰があるとのこと。最高値のマグロを釣り上げたのは、青森県大間町の漁師歴25年の竹内正弘さん。竹内さんが一番マグロを釣ったのは8回目で、今回が最も高いとのこと。
戦後80年となる今年、「いまを戦前にさせない」をテーマに様々な特集を伝える。「特攻に出撃する息子と、それを見送った父親」の物語。鹿児島県南九州市に、かつて特攻隊の基地があった。知覧飛行場で撮影された2枚の写真には、出撃直前にも関わらず操縦席で微笑む青年と、帽子を振り見送る青年の父親が映っていた。写真には特攻を巡る親子の悲しい真実が隠されていた。パイロットの弟、黒木民雄さんが語る。知覧の資料館には、特攻で亡くなった兄「国雄」さんの写真が展示されている。当時国雄さんは21歳、特攻隊の隊長だった。部隊に配属される直前、実家に帰省した国雄さん、普段任務について多くを語らなかったが、駅で別れるときに汽車に飛び乗ったあと家族が見えなくなるまで敬礼していたという。その姿が家族が見た最後の姿だった。半年後、特攻の出撃命令が下る。家族にあてた遺書には、弟・民雄さんに向け「喜べ、兄は隊長として大君の見立てと散る」と記されていた。両親には「日本一の多幸者でした」と感謝の言葉を綴った国雄さん。整備員に出撃を見届けたら、遺書を投かんするように頼み1945年5月6日、沖縄に向け出撃した。3日後、遺書が父のもとに届く。父・肇さんは最後の様子が知りたくなり知覧に向かったが、そこで思わぬ再会が。
戦後80年となる今年、「いまを戦前にさせない」をテーマに様々な特集を伝える。「特攻に出撃する息子と、それを見送った父親」の物語。息子からの遺書を受け取った父・肇さんが最後の様子を知るため知覧に向かうと、そこには亡くなったはずの息子の姿があった。国雄さんは、エンジントラブルで知覧に戻っていたという。2人は再会を喜んだが、国雄さんは翌日再出撃することが決まっていた。周囲の勧めで最後の夜を過ごすことになった2人。父に会い嬉しそうな国雄さんだったが、母のことを気にかけていたという。出撃の朝、国雄さんは父に確かめるように「国雄の晴れ姿を見てうれしいじゃろ」と言い、肇さんが「嬉しい」と答えると戦闘機に乗り込んだ。その時撮影されたのが、戦闘機の上で満足気に微笑む写真だった。見送る肇さんは「敵の飛行機に落とされませんように」「無事、敵艦に激突してくれますように」とつぶやいていたという。当時の父の気持ちについて、民雄さんは「割り切らないとしょうがなかった、お国のためにささげた命だから「目的を果たしてくれ」ということが精いっぱいだったと思う」と話した。出撃後、戻ってくることのなかった国雄さん。肇さんは「息子が空母に突っ込んだ」と信じ、日本の勝利を確信していたが、出撃からわずか3か月後に日本は降伏。軍人やその家族に対する評価も一気に変わり、「戦争協力者である」という雰囲気がおこり、国雄さんを揶揄する人もいたという。ふさぎ込んだ肇さんは、終戦から11年後60歳で亡くなった。民雄さんは最後に「二度と戦争なんかするもんじゃない、あの時代が異常だった」と話した。
米ツアー今季開幕戦ザ・セントリーにて松山英樹がバーディーラッシュ。単独首位で、V王手。
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ラグビーリーグワン第3節、BL東京対神戸。32対26でBL東京が勝利し、開幕3連勝を飾った。
スカイツリーカメラの映像と共に全国の気象情報を伝えた。
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エンディングの挨拶。