娘のりんちゃんに話しかけるまさこさん。中学1年生でサッカーに励むたからくん。2人の子と夫の4人家族で穏やかな生活を送っていたある日、病の宣告を受けた。最初の違和感は5年前、度々足を吊るようになり病院を受診するも原因不明で病名の宣告は最初の診察から2年後となった。告げられた病名は「ALS(筋萎縮性側索硬化症)」であった。筋肉が痩せて次第に動けなくなる進行性の難病である。診断を受けてから2年半以上が経過し、今は肩から下がほとんど動かない状況である。まさこさんの自宅を訪れた1人の女性はまさこさんの妹・みちこさんである。姉妹の地元である愛知に住んでいたが、まさこさんの生活を助けたいと2年前に福岡へ。近所に住み、仕事の合間を見ながらりんちゃんの送迎などを手伝っている。当初は憔悴していたまさこさんだったが、その前向きさは失われていなかった。母の影響で幼い頃から「食」に関心が強く自慢の手料理を家族に振る舞うのが楽しみであった。病気でキッチンに立てなくなる中、レシピを本にして我が子へ残すという目標が生まれていた。
まさこさんが営む喫茶店だが病気の影響で今は営業していないこの店に彼女を慕うママ友たちが集まっていた。妹のみちこさんに支えられまさこさんがやって来た。ママ友たちが集まった理由はまさこさんの夢「レシピ本製作の手伝い」であった。本には調理の工程だけでなく、完成した料理の写真も掲載する。そこでまさこさんの思いをかなえたいと願うママ友たちが料理を形にすることになった。4日間の日程で調理と撮影を行うこととなり、海外を食べ歩いた経験を活かし多彩な食材を使う点が魅力である。出版される本のタイトルは「もしもキッチンに立てたなら」となった。かつて子どもたちに振る舞っていた料理のレシピなどをスマートフォンに残すように動きづらくなる手を必死に動かし、書き溜めたレシピは今や100品以上になっていた。元々雑誌向けにエッセーを書いていた田中さんが出版社にレシピ本の企画を持ち込み、製作が決定した。撮影準備2日目となり娘のりんちゃんの姿もあった。時に味見もしながら未来に残したいレシピが周りの人たちの支えを受けて徐々に形になっていく。撮影当日は出版社のスタッフも訪れ、撮影は賑やかな雰囲気で始まった。店で出していたメニューから自宅で振る舞っていた料理まで、本に載せるのは全部で17品となった。打合せの通り料理を仕上げていくが、まさこさんからミルクレープに乗せているクリームについてクリームをふんわりさせたいと要望となった。精一杯のこだわりを詰め込んでまさこさんのレシピが料理になり、一皿ずつ写真に収められていった。特に思いを込める料理の撮影は「愛する我が子への弁当」であった。息子・たからくんにはサッカーの練習のあとに食べてほしい料理を詰め込み、娘・りんちゃんには一緒にピクニックに行って食べたいサンドイッチや果物を盛り付けた。
2025年12月には症状が悪化し訪問介護師がケアすることとなり、寄る眠れず呼吸器を使い昼に睡眠となり指が動かずスマホ操作ができなくなっていた。3月に出版を控え体調にかかわらず、急ピッチで準備を進めなければならなかった。本の冒頭にはエッセーを掲載しALSを患いながら前向きに挑戦を続けられる訳を綴る。別の日にはレシピ本の撮影に協力したママ友たちがまさこさんの家に集まった。料理の手順が載った原稿を手に素材の分量に誤りがないか、料理の工程にわかりにくい部分がないか念入りにチェックしていく。細かい表現についても調整を重ねていく。医師によるとALSは一般的に32カ月で呼吸が困難になるとされているがこの時、まさこさんは診断からずでに31カ月が経過していた。迎えた2026年3月、まさこさんが未来に残したいと願ったレシピ本がついに完成し発売を前に出版社から届いていた。徐々に体の自由がきかなくなる中、周りの支えを得て綴ったこの本にはまさこさんの過去と現在が詰まっている。まさこさんがどうしても本を渡したかった娘のりんちゃんはまだ中身までは理解できていないが、一冊の本がいつか子どもたちの進む道を照らしてくれるはずである。念願だった本の製作は終わったものの再びまさこさんの喫茶店に集まったママ友たちとなっていた。
まさこさんが営む喫茶店だが病気の影響で今は営業していないこの店に彼女を慕うママ友たちが集まっていた。妹のみちこさんに支えられまさこさんがやって来た。ママ友たちが集まった理由はまさこさんの夢「レシピ本製作の手伝い」であった。本には調理の工程だけでなく、完成した料理の写真も掲載する。そこでまさこさんの思いをかなえたいと願うママ友たちが料理を形にすることになった。4日間の日程で調理と撮影を行うこととなり、海外を食べ歩いた経験を活かし多彩な食材を使う点が魅力である。出版される本のタイトルは「もしもキッチンに立てたなら」となった。かつて子どもたちに振る舞っていた料理のレシピなどをスマートフォンに残すように動きづらくなる手を必死に動かし、書き溜めたレシピは今や100品以上になっていた。元々雑誌向けにエッセーを書いていた田中さんが出版社にレシピ本の企画を持ち込み、製作が決定した。撮影準備2日目となり娘のりんちゃんの姿もあった。時に味見もしながら未来に残したいレシピが周りの人たちの支えを受けて徐々に形になっていく。撮影当日は出版社のスタッフも訪れ、撮影は賑やかな雰囲気で始まった。店で出していたメニューから自宅で振る舞っていた料理まで、本に載せるのは全部で17品となった。打合せの通り料理を仕上げていくが、まさこさんからミルクレープに乗せているクリームについてクリームをふんわりさせたいと要望となった。精一杯のこだわりを詰め込んでまさこさんのレシピが料理になり、一皿ずつ写真に収められていった。特に思いを込める料理の撮影は「愛する我が子への弁当」であった。息子・たからくんにはサッカーの練習のあとに食べてほしい料理を詰め込み、娘・りんちゃんには一緒にピクニックに行って食べたいサンドイッチや果物を盛り付けた。
2025年12月には症状が悪化し訪問介護師がケアすることとなり、寄る眠れず呼吸器を使い昼に睡眠となり指が動かずスマホ操作ができなくなっていた。3月に出版を控え体調にかかわらず、急ピッチで準備を進めなければならなかった。本の冒頭にはエッセーを掲載しALSを患いながら前向きに挑戦を続けられる訳を綴る。別の日にはレシピ本の撮影に協力したママ友たちがまさこさんの家に集まった。料理の手順が載った原稿を手に素材の分量に誤りがないか、料理の工程にわかりにくい部分がないか念入りにチェックしていく。細かい表現についても調整を重ねていく。医師によるとALSは一般的に32カ月で呼吸が困難になるとされているがこの時、まさこさんは診断からずでに31カ月が経過していた。迎えた2026年3月、まさこさんが未来に残したいと願ったレシピ本がついに完成し発売を前に出版社から届いていた。徐々に体の自由がきかなくなる中、周りの支えを得て綴ったこの本にはまさこさんの過去と現在が詰まっている。まさこさんがどうしても本を渡したかった娘のりんちゃんはまだ中身までは理解できていないが、一冊の本がいつか子どもたちの進む道を照らしてくれるはずである。念願だった本の製作は終わったものの再びまさこさんの喫茶店に集まったママ友たちとなっていた。
